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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

5月5日・「暁の超特急」・吉岡隆徳の命日

昭和59(1984)年の明日5月5日は昭和7(1932)年の第10回ロサンゼルス・オリンピックで短距離走としては日本男子で初めて決勝レースに残り(次は1992年のバルセロナ・オリンピックの高野進さん)、6位入賞を果たして「暁の超特急」と呼ばれた吉岡隆徳さんの命日です。
吉岡さんは明治42(1909)年に現在の島根県出雲市で神職の息子として生まれ、尋常小学校卒業後に吉岡家の養子になり地元で旧制中学、師範学校に進みましたが、間もなく1924年のパリ・オリンピックの100メートル走の代表選手に才能を見い出されて東京高等師範学校に進学することになりました。
東京高等師範学校在学中の1930年には極東競技選手権大会の100メートル走で日本人男子としては初めて優勝を果たし、その年の間に10秒7の日本記録を樹立しながら1カ月後に南部忠平さん(ロサンゼルス・オリンピックの3段跳びの金メダリスト)に破られ、さらに1カ月後には10秒5に記録を更新しています。
こうして昭和7(1932)年のロサンゼルス・オリンピックに出場すると睡眠、食事から用便の時間まで調整する極めて綿密なコンディション管理を行って決勝に進出し、世界6位と言うトラック競技としては男子個人の最高位に上りました(日本最高位は1928年のアムステルダム・オリンピックの800メートルの銀メダリスト・人見絹枝さん)。
吉岡さんは身長165センチ、体重61キロで当時の日本人運動選手としてもそれ程の大柄ではなく、このため反射神経と瞬発力がモノを言うスタートでは「世界最速」と謳われていたものの慣性の法則で体重を必要とする後半では失速してしまうため「50メートル走なら無敵」と世界のライバルたちから敬意と同情を込めた皮肉を言われていたそうです。やはりアムステルダム・オリンピックに日本人として初めて出場した三島弥彦さんが言っていたように日本人は短距離には向いていないようです。
ちなみに吉岡さんの愛称の「暁の超特急」はこの大会で優勝したアフリカ系アメリカ人のエディ・トーランさんが「真夜中の超特急(人種差別の意味合いもある)」と呼ばれていることを知った日本人記者が命名したものです。
吉岡さんは昭和10(1935)年6月に開催された当時はアジアの陸上競技に君臨していたフィリピンとの対抗陸上競技大会で世界タイ記録10秒3と同じ日本記録を出しました。この日本記録は昭和39(1964)年の西ベルリン国際陸上競技会で教え子の飯島秀雄さんが10秒1を出して破られるまで29年間も保持し続けることになりました。
しかし、昭和11(1936)年のベルリン・オリンピックでは重圧に押し潰されて2次予選で敗退、その後は現在も続く陸上競技連盟内の学閥により、東京高等師範学校(現在の筑波大学)出身の吉岡さんは東京6大学の有力選手を指導することが許されず(早稲田大学出身の飯島さんは指導を受けたため有力な陸上部を持つ企業には就職できなかった)、日進月歩で記録を短縮して行く世界の短距離走競技から取り残されていく日本の現状を歯噛みする思いで眺めていたのでしょう。
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  1. 2019/05/04(土) 11:29:34|
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