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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1550

三陸地区は大規模な津波を経験している高齢者が多く、その体験談を聞いている住民も早めに自主避難したこともあり、陸前高田市では全家屋4063戸の半数が全壊したにも関わらず行方不明者を含む犠牲者は1751名だった。勿論、これでも甚大な犠牲だが、多くの人々が迅速に先祖から語り継がれている安全地帯に逃げたことは今後の教訓にしなければならない。
それでも陸前高田市の海岸線は津波に破壊尽くされており、コンクリート製の防波堤でさえ簡単には判別できないほど土砂と廃材で埋もれている。そこを歩いて現場に向かった。
「これは酷いですね。宮城県内とは津波の規模がまるで違うみたいだ」ゴミ箱を手当たり次第に投げ散らかしたような光景に足立2曹は足がすくんだように歩度が落ちた。
「これがリアス式海岸の恐ろしさなんだろう。切り立った崖が奥に先細りの湾を作っているから、押し寄せた波がせり上がって高くなる。今回の震源地からは湾の入り口が正面になってしまったからその効果が大きくなったと言うことだ」私は久居で勤務していた頃、鳥羽のリアス式海岸が鎌倉時代から江戸時代までに起こった東海道沖の地震による津波で壊滅的被害を受けた史実を研究したことがある。先ほど市役所の職員も鉄筋コンクリート建て3階の庁舎の屋上まで津波が被ったと説明していたから波高が10メートルを超えていたのは間違いない。その津波が内陸深く押し寄せた後、引き戻る勢いも凄まじかったはずだ。だから街の奥までかなり大型の船が打ち上げられ、逆に海岸線にはお屋敷と呼べるような家屋が原型を留めたまま流されてきている。そんな廃材で敷き詰められている海岸で遺骸の捜索を実施している茶山元3佐が率いる船岡の施設OB部隊を我々は捜索することなった。
次の目的地に向かう時間が気になり始めた頃、ようやく8名の施設OB部隊を見つけることができた。全員が階級章を取ったOD色の作業服を着て半長靴を履いているところを見るとユニホームにしているようだ。これで階級章まで付けていると武力紛争関係法では戦闘員に準ずる扱いをされて攻撃を受けても文句が言えず(武器を公然と持っていないため戦闘員としての資格要件は満たさない)、日本国内では軽犯罪法1条15号の「商標等窃用」罪に該当する。
「おう、モリヤくん、待っていたよ」私たち近づくと茶山元3佐が手を振って声をかけてきた。その周りでは施設のOBたちが慣れた手つきで廃材の固まりを解体して中を確認している。
「遺骸が見つかりましたか」「今日はまだだが、空っぽの漁船が幾つも流れついているよ。乗っていた人は沖で死んでしまったんだろう」そう言って茶山元3佐が送った視線を追うと波打ち際には船底を上にしたり、横倒しになった漁船が幾つも横たわっている。確認したのが他ならぬ茶山元3佐であれば港に停泊中で無人だった船と沖で操業していた船の違いは判別しているはずだ。私にはそれが漁民たちの遺骸のように見えた。
「船体に所属している漁協の名前が書いてあるでしょう」「うん、宮城県の漁協の物もかなりあるね」地震が発生したのは午後2時46分だったので沖に出て操業していた漁師も多かったはずだ。海上では地震の揺れも地上ほど強くは感じないためラジオや漁協の情報を聞いていない限り大規模な津波の発生も予測できなかったのかも知れない。仮に予測しても海に下ろした網を回収することを優先して逃げ遅れた可能性もある。何にしても東北地方全体に押し寄せた巨大な津波から逃れる術(すべ)はなかったはずだ。
「それでは漁師さんたちの供養を勤めましょう」そう言って作業現場を抜けて波打ち際に向かうと茶山元3佐が「作業止め。集合」と声をかけた。その号令にOBたちは即座に反応して現役のような機敏な動作で横隊に集合した。
「脱帽」茶山元3佐の号令でOBたちは私物らしい白いプラスチック製のヘルメットを取って脇に抱えた。そんな様子を振り返って眺めながら私は砂に火を点けた線香を10本並べて立て、威儀細を首に掛け、数珠と引鐘を取り出して少し思案した。
チーン、チーン、チーン、カチッ。「妙法蓮華経如来寿量品偈」今回は妙法蓮華経を選択した。それは法華宗の宗祖・日蓮は房総半島の尖端の漁師の息子出身のため「漁民の中には家の宗旨とは別に個人として信仰している人が多い」と聞いたことがあるからだ。
「自我得佛来 所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇 常説法教化 無数億衆生 令入於佛道・・・」今も書類上は所属している曹洞宗ではこの「自我偈」と「観音経」とも呼ばれる「世尊偈(=妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈)」、そして道元が死ぬ時に唱えていたとされる「妙法蓮華経如来神力品」を勤めているが、経文の内容から言えば供養には「自我偈」が相応しい。「世尊偈」は観世音菩薩による災厄からの加護を説いた現世利益の経文なのだ。
「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛・・・」最後を「南無妙法蓮華経」の題目ではなく念佛にしたのは法華宗への拒絶ではなく単なる口癖だ。
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  1. 2019/05/12(日) 11:55:07|
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