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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

5月16日・日露戦争の影の大功労者・金子堅太郎の命日

昭和17(1942)年、第2次世界大戦に参戦した日本が滅亡への道を転げ落ち始める転機となったミッドウェイに向かって連合艦隊が出航した5月27日=海軍記念日の1週間前の明日5月16日に日露戦争を敗北前に停戦させた大功労者である金子堅太郎さんが89歳で亡くなりました。
金子さんはペリーが浦賀に来航した嘉永6(1853)年に福岡・黒田藩の生涯士分(本人1代限りの契約藩士)の長男として生まれました。7歳から藩内の学者について漢学を修養するようになり、10歳で藩校に入学したものの15歳で父親が病死したため士分を失って足軽である銃手組=鉄砲隊に格下げされてしまいました。
そうして明治を迎えると藩校での抜群の成績が認められて士分に取り立てられ、江戸=東京への藩費遊学を経て岩倉具視さんが世界に恥を晒した(国家元首の委任状を持たずに外交交渉を求め、国際慣習法の無知を知られてしまった)欧米使節に同行した旧・黒田藩主の随員として渡米し、そのまま留学したのです。アメリカでは小学校から始め、飛び級でハイスクールに入り、弁護士事務所で働きながらハーバード大学法学部に合格しています。ハーバード大学時代は後に金子さんの功績によって活躍(本人にとっては苦心)の舞台を与えられる小村寿太郎さんと同宿し、競い合いながらも協力して勉学に励みました。また多くのアメリカの知識人、上流階層と交流を持って人脈を構築しますが、その中には5歳年下のハーバード大学の先輩・セオドア・ルーズベルト大統領もいました。
ハーバード大学を卒業して帰国すると司法制度の近代化に尽力しますが、その一方で自由民権運動の急激な高まりに危機感を抱いた元老院から革命によって国王を処刑したフランスのアンリ・ルソーさん的な急進的な思想に対抗し得る保守派の政治思想を求められてイギリスのエドマング・バークさんを紹介しています。その後、内閣総理大臣の秘書として大日本帝国憲法の起草に参加するなど政府内での存在感を強めていきますが、天皇の意思に反して帝政ロシアとの戦争を決定した好戦的軍閥政府からハーバード大学時代に知己を得ているセオドア・ルーズベルト大統領に停戦の仲介を要請する任務を与えられて渡米することになりました。
アメリカでは常に大統領と接触し、日露戦争を「ヨーロッパ人とアジア人の戦い」とする世論の偏向を修正させ、「ヨーロッパ人が負けるはずがない」と言う前提でロシア側の発表だけを報道する新聞(ラジオ放送はまだ始まっていない)に日本側からの情報を合理的根拠を示して投稿するなど懸命な努力を続けた結果、日本海海戦の完全勝利と言う絶妙のタイミングで帝政ロシアに停戦交渉の開催を申し入れさせることに成功したのです。・
ポーツマス講和会議では継戦能力を残すロシアは日本の戦力が尽きていることを見抜いて敗北を認めませんでしたが、ルーズベルト大統領に異例の介入を要請してロシア側に痛みを与えず日本側の体裁が立つような妥協の産物の講和条約を成立させました。
金子さんは晩年まで日米友好に尽力していただけに生きている間に開戦を迎えたことは本当に無念だったはずです。
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  1. 2019/05/15(水) 11:52:03|
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