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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1562(部分的に実話です)

裁判では首席法務官も傍聴人席に座ることになるが予約はなく、判決は取材の記者や被害者側の遺族などが殺到するため券を獲得することが難しい。今回は統合幕僚監部首席法務官室で勤務する陸曹3名が前夜から野営して首席法務官と両被告人の妻の券を確保した。
「モリヤ先生、今日は作業服で出廷されるんですか」地方裁判所のロビーで首席法務官と別れて弁護人の控室に入ると待っていた牧野弁護士が驚いたように声をかけてきた。
法廷での服装は戦前には「裁判所構成法」で定められた重々しい法服があったが戦後に廃止されており、現在は最高裁判所の「裁判官の制服に関する規則」に基づく黒いガウン式の法服を高等裁判所や地方裁判所の判事も着用することが一般的だ。したがって検事と弁護人の服装に関する規則はないので違反に問われることはないのだが、人の生殺与奪を争う公式の場に席を占める者としてはネクタイを着用するのが節度なのは判っている。
「私は災害派遣にも参加していますから公的にこの服装での勤務を命ぜられているんです」私の説明は半分建前だ。実際は自衛隊に災害派遣のイメージを強調したい本音もある。
「しかし、ニュース映像では被告人が入廷する前に判事と検事と我々が着席しているところが流れますから、その服装だと目立ちますよ」逆に視聴者にこの服装を注目させれば東北地方での自衛隊の活動を改めて認識させることもできる。過去の自衛隊の事故の裁判ではマスコミが一方的に自衛隊の原因と断定して扇動した批判的世論に法廷が引き摺られたのも確かだ。しかし、今回は自衛隊を悪者とする印象操作に対抗する実績を有している。利用できるものは全て利用するのが近代戦の基本なのだ。
「こう言っちゃあ何ですが、モリヤ先生はその服装が似合いませんね。坊さんの法衣の方がフィットしますよ」遅れてきた滝沢弁護士がイキナリ失礼なことを口にした。言われるまでもなく屋外での活動をしなり色が白くなるに従って顔が坊主化していることは私も自覚している。ただし、この2人には法衣どころか作務衣姿も見せたことがない。ここまで言われるのなら次の機会には法衣で出席しようと思ったが、法廷では裁判官の心証が最も重要だから宗教色を前面に出すのは避けた方が良い。
「これより開廷します」今日もスーツ姿の被告人2名が出廷して席に着くと裁判官が開廷を宣言した。傍聴人席では記者たちがメモ帳を構えてボールペンを立てる懐かしい光景が見られた。最近の記者会見では携帯電話で画像と音声を録画・送信することが一般化しており、メモを取ることがなくなったが、法廷内では携帯電話の電源を切らなければならないので若い記者も慣れないアナログな作業を実施することになる。
最上段の席の裁判官は法廷内の動きが鎮まって注目が自分に集中したのを確認すると白い紙を両手で広げて大きく息を吸った。それに合わせて隣りの弁護士2人は生唾を飲み、私は目を閉じて無我の境地に入った。
「主文、被告人・前潟啓一郎を無罪とする。被告人・大岩智人を無罪とする」裁判官が判決理由なしで判決を告げるのは無罪か死刑だけだ。今回の求刑は禁固2年だったので被告人の名前が出たところで私たちは安堵の溜息をついた。同時に数人の記者たちが立ち上がって外に掛け出した。裁判所の外の様子は見ていないが報道番組の定番である実況中継しているアナウンサーのところに記者が全力疾走で駆けより、「無罪です」と叫ぶ場面が始まるようだ。
「判決理由、本件は平成21年4月21日午前4時7分頃、千葉県南房総市野母崎沖の太平洋の北緯34度31分5秒、東経139度48分6秒で海上自衛隊自衛艦隊舞鶴基地所属の護衛艦・あまごと千葉県新勝浦市漁業協同組合所属のマグロはえ縄漁船・軽得丸が衝突し、軽得丸に乗っていた岸西(きしせい)丸夫と岸西節広が行方不明となり、同年5月20日に認定死亡したものである」ここまでは傍聴人も含めて関係者は熟知していることだがそれでも真剣に聞き入っている。続いて裁判の流れに従いそれを評価していく中で最大の争点だった航海図の信頼性になった。すると向かい側の席の検察官たちは身構えることもなく肩を落とした。
「検察側が本法廷に証拠として提出した航海図及び僚船の乗組員の供述調書は恣意的に捏造したことが明らかであり信用性は認められない。また弁護側が提出した航海図も合理的客観性を確保できておらず依拠できない。したがって両被告人には危険の予見に対する判断上の過失はあったとしても回避義務は軽得丸側にあり、あまご側には回避義務がなかった以上、被告人・前潟啓一郎の注意義務は認められず、それを前提としていた被告人・大岩智人の注意義務も生じない」ここで再び数人の記者たちが駈け出していった。まさか駆け寄りながら広げる「不当判決」と大書した紙は持っていないだろう。それを見送りながら被告人席に視線を向けると2人は座ったまま頭を下げた。
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  1. 2019/05/24(金) 12:35:35|
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