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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1563

無罪判決を受ければ刑事訴訟法が定める身柄を拘留する理由が消滅するため被告人は即座に釈放される。裁判所としては一刻でも早く釈放しなければ不当拘留として賠償請求を受ける場合もあるので手続きを早急に進めるのだが、玄関前には報道陣がカメラを並べて待ち構えており、ロビーにも記者がたむろしているため3年ぶりの「生」の妻との再会を味わうことができない。
私自身も東京拘置所生活を送った前科者なので面会に訪れた佳織とガラス越しでしか会えない苦痛を味わっている。私たちはガラスに開いた穴にストローを差し込んで互いの吐息を吸う馬鹿な工夫で「生」の存在を確かめたが、常識的なこの若い夫婦はガラス1枚の厚さを無限の距離のように感じていたのだろう。
「時間はかからないと思いますが、こちらでお待ち下さい」公判が終了して傍聴席から出てきた首席法務官と前潟・大岩両夫人を我々は弁護人控室に招き入れた。夫人たちとしては夫が拘留された頃の首席法務官は同じ海上自衛隊の境1佐だったが、現在は1等陸佐に交代しているため多少の違和感を抱いているのが見て取れる。その前に迷彩服を着ている私は完全に別世界の人間だが、そこは始めからのつき合いなので勘弁してもらうしかない。
「これから2人には市ヶ谷での記者会見に臨んでもらわないといけません。官用車は手配してありますからご家族もご一緒にお越し下さい」控室では私がロビーの自動販売機で買ってきた缶コーヒーを配っている間に首席法務官が予定を説明した。弁護人の控室は裁判の担当者が開廷を待つため共同で使用する部屋なのでコーヒー・メーカーや冷蔵庫、ポットなどは置いていない。その点、検察官の控室は全員が地方検察庁の同僚なので少し違うかも知れない。
「ご存知ないとは思いますが私も2年間の拘置所生活を経験しておりましてご主人たちの気持ちは我が事のように理解できるつもりです。本来であれば我々は席を外して心の底から再会を味わっていただきたいのですが、今、外に出るとマスコミの取材を受ける可能性がありますからそれは夕方まで我慢して下さい」夫人たちはコーヒーを開けずに黙り込んでいるので私が話しかけた。裁判所では首席法務官の1佐よりも弁護人の2佐の方が立場は強くなる。そのため身分不相応に私が取り仕切ってしまった。
「失礼します。大変お待たせしました」そこでドアがノックされ、裁判所の係官が開けて入ってきた。後ろには前潟3佐と大岩3佐が立っている。私なら周囲を無視して佳織を抱き締めるところだがそこは折り目正しい海上自衛官の夫婦には節度がある。夫婦並んで首席法務官から順番に2人の弁護士に礼を言って回り始めた。
「モリヤ2佐、懸命に尽力していただき本当に有り難うございました」やはり私は最後だった。しかし、それは後回しにされたのではなく少し長話をするためのようだ。
「モリヤ2佐の弁論は自衛隊の立場や特殊性を具体的に説明していて聞いていて安心できました」「流石は自衛官の弁護人だと2人で話し合っていました」2人の過分の評価に奥さんたちもうなずいている。これが弁護士名利と言うものかも知れない。しかし、涙もろい私も目は潤んでこなかった。そこが職業上の他人事としての客観的な感覚なのだ。
「木田1佐、お迎えに上がりました」そこに仙台からの帰路の教官だった中央業務支援隊の1曹が顔を出した。ここから市ヶ谷までは人数的にはマイクロ・バスの人員輸送車1台で十分だが、首席法務官を団体扱いする訳にはいかない。何よりも自衛隊の車両は窓にスモークの目隠しを施していないのでカメラの砲列の集中砲火を浴びてしまう。そこで窓から離れて座ることができる業務車1号4台に分乗することになった。
「裏の駐車場にもマスコミは集っているんだろう」「はい、カメラを構えて待っています」首席法務官の確認に1曹は口調を重くして答えた。
「無罪放免なんですから堂々と胸を張って出ていけば良いんですよ」「最初に我々が出て報道陣に私人である奥さんの撮影は拒否すると申し入れましょう」私の強硬論に民事訴訟が専門の牧野弁護士が補足した。流石に専門家の戦術は高度だ。
「それではモリヤ2佐と弁護士の先生お二人が先頭車両と言うことですね」「ワシが助手席に座ろう」自衛隊の車両の席順には階級・身分の上下の序列がある。最上位者は運転手の後ろ(最も安全であり、乗降時に運転手がドアを開ける都合もある)、次級者はその隣り、最下位者が助手席だ。私の立候補を聞いて1曹は安堵したように首で会釈した。
「これから前潟3佐と大岩3佐が記者会見のため市ヶ谷に向かいます。取材はそちらでお願いします。なお、2人の隣りには夫人が座っていますが、夫人は私人であり容貌が識別できる顔の撮影は個人情報保護の観点から拒否します。違反者に対しては民事訴訟も準備しております」結局、強面の仕事は私の担当になったが、顔が坊主化していては迫力不足は否めない。
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  1. 2019/05/25(土) 11:11:07|
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