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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

5月26日・5.15事件の犠牲者・田中五郎巡査の命日

昭和7(1932)年の明日5月26日に5.15事件で首相官邸を襲撃した三上卓海軍中尉ほかの襲撃犯と銃撃戦になり重傷を負っていた田中五郎巡査が死亡しました。41歳でした。
戦後の日本映画では帝国陸軍の暗部を暴く作品は数多く制作されましたが、帝国海軍については何故か山本五十六大将を中心とする連合艦隊の活躍を描いていました。その一方で愚かな青年将校たちが荒木貞夫大将や真崎甚三郎大将などの皇道派の将官の扇動を鵜呑みにして起こした2.26事件については、事件後に山口陸軍閥の末裔である寺内寿一陸軍大臣が「クーデターや政府要人の暗殺の再発を防ぐために陸軍大臣は現場の代表者であるべきだ」と言う詭弁を弄して陸軍大臣は現役とする要求を押しつけた結果、陸軍が気に入らない政権には大臣を推薦しないことで瓦解させる手段を手に入れて軍国主義が加速した原因であるにも関わらず変に肯定的で、「純粋な青年将校たちが憂国の情に駆られて起こした」と同情的に当時の政権に批判的な描写が繰り返されてきました。
2.26事件はそのような多くの作品があるのに対して5.15事件については昭和33(1958)年に新東宝が公開した「重臣と青年将校・陸海軍流血史」の中で比較的詳しく描かれているくらいで、他の作品では拳銃を突きつけられた犬養毅首相が「話せば判る」と諭した瞬間に手が映っている青年将校が「問答無用」と叫んで発砲するだけです。そんな「陸海軍流血史」でも駆け込んでくる将校たちを首相官邸の玄関で制止しようとした警察官2名が射殺されていますが、実際はそのような状況ではありませんでした。
この日、首相官邸では午後5時27分頃に自動車2台で乗りつけた首謀者の三上中尉のほか海軍予備少尉と陸軍士官学校本科生3名が表門から、海軍中尉、海軍少尉、陸軍士官学校本科生2名が裏門から襲撃しており、先に表門から内部に踏み込んだ三上中尉以下が犬養首相を探していて日本間の洋式接客室にいた警視庁警衛課=総理の護衛と言うよりも首相官邸の警備担当の田中巡査と遭遇したのです。おそらく田中巡査も和式の建物の廊下を靴を履いたまま歩いてくる足音に非常事態を察して拳銃を抜いて構えていたはずですが、「見敵必殺」の軍人と「正当防衛」「緊急避難」「逃走防止」の警察官では発砲に至る手順が違うため先に銃弾を浴びてしまい、激痛に耐えながらの応射だったため襲撃犯に命中させることはできませんでした。逆に襲撃犯は首相を探すことを優先したため留めは刺さなかったようです。こうして犬養首相を発見した三上中尉は拳銃を突きつけながら問答を始めたのですが、そこに到着した裏門組の海軍中尉が「問答無用、射て」と大声で叫んだため遅れて入ってきた表門組の海軍少尉が左頭部に発砲、それを見た三上中尉が右頭部にも発砲して重傷を負わせました。亡くなったのは深夜になってからです。
襲撃犯たちは玄関から庭に出て引き上げたのですが、別室で銃声を聞いたもののサーベルと拳銃を控室に取りに行くことを避けて庭に潜んでいた平山八十松巡査が木刀で打ちかかったため表門と裏門組の海軍少尉が1発ずつ発砲して負傷させています。ただし、こちらは致命傷にはなりませんでした。何にしても職務に殉じた警察官に敬意を表します。
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  1. 2019/05/25(土) 11:12:07|
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