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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

左翼映画人・降旗康夫監督の逝去に思う。

5月20日に戦前の日本社会、中でも帝国陸軍を完全に否定する映画を製作していた左翼映画人の生き残りであった降旗康男監督が亡くなったそうです。84歳でした。
降旗監督は昭和9(1934)年に長野県松本市で生まれ、戦後に東京大学文学部フランス語学科に進学し、昭和32(1957)年に卒業すると東映に入社しました。戦後の日本映画は連合国占領軍が国民を「戦前の日本は絶対悪」「帝国陸軍こそ軍国主義の元凶」と洗脳するための道具として軍隊生活を一筋の光明も差さない暗黒社会であったかのように描いた作品を量産し、独立後もその路線を継続していたので、降旗監督も東京大学の2年先輩で今年の2月19日に亡くなった佐藤純彌監督のデビュー作である昭和38(1963)年公開の「陸軍残虐物語」の助監督として同じくデビューを飾ったのです。
野僧はこの映画を小学生の頃のテレビ映画劇場で見た覚えがありますが、三国連太郎さんが演じる純粋馬鹿の犬丸2等兵と中村賀津雄さんが演じる生真面目な鈴木2等兵が苛めの対象になって暴力を受け続ける軍隊の光景は陸軍少将の息子である祖父やこの映画の舞台になっている戦時下に入営した小父さんたちから聴く話とは全く違い、軍隊経験がない父親が真剣に見ているのを冷ややかに眺めていただけでした。
しかし、戦後も昭和30年代後半から始まる高度経済成長の躍動期に入ると「反戦」に名を借りた左翼的映画は急速に人気を失い、代わって社会の法秩序から外れた裏社会を美化した任侠映画が支持を集めるようになったのです。このため佐藤純彌監督と同じく降旗監督も東映ヤクザ映画を手掛けるようになり(それを企画した東映の坂上順プロデューサーも5月18日に亡くなっています)、ここで高倉健さんの代表作である「網走番外地」などで一緒に仕事をする機会を得たようです。
野僧が降旗監督の関わった作品を見たのは昭和48(1963)年から昭和53(1973)年まで放送されたテレビドラマの「キイハンター」でした。ただし、「キイハンター」は東映が制作に全面協力しているものの毎回、監督その他のスタッフが代わっているため、どの作品に降旗監督さんが参加したのかは判りません。他にも山口百恵さんの赤いシリーズも手掛けたそうですが、南沙織さんの熱烈なファンだった野僧は中3トリオが嫌いだったので見ていません。
この他には「駅STATION」「居酒屋兆治」「あ・うん」「ホタル」「あなたへ」など高倉さんが亡くなってからは名作と言われている作品も数多く手掛けていますが野僧が見たのは「鉄道員(ぽっぽや)」だけです。ただし、人気アイドルだった広末涼子さんの素人丸出しの稚拙な演技は最悪でした(広末さんについてはアカデミー賞作品の「おくりびと」やNHKの大河ドラマ「龍馬伝」も見ましたが成長したようには思えませんでした)。
降旗監督の立派なところは他の左翼映画人だった監督や男優・女優たちが政治的発言を控えて文化人を演じているのに日本共産党への熱烈な支持を公言していたことでしょう。
そう言えば反戦色が変に現実味を帯びていた「少年H」も降旗監督の作品でした。この作品は記憶に残っていますから冥福は祈ることにします。
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  1. 2019/05/28(火) 12:39:06|
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