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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

5月29日・増原恵吉防衛庁長官の口滑らし騒動

昭和48(1973)年の明日5月29日に田中角栄内閣の増原恵吉防衛庁長官が記者会見で昭和の陛下に防衛の実情を内奏した際の発言を漏らしたため辞任に追い込ました。
増原長官は意外にも防衛庁・自衛隊との関係が極めて深く、東京帝国大学を卒業して内務省に入省して警察畑を歩いた後に香川県知事になると敗戦後も引き続きその職に留まっていましたが、昭和25(1950)年に警察予備隊が設立された時、吉田茂首相の要請を受けて県知事を辞して警察予備隊本部長官に就任したのです。1年後に元内務官僚の大橋武夫衆議院議員が警察予備隊担当の国務大臣に就任したことで「長=トップ」の座は譲りましたが、昭和27(1952)年に警察予備隊が保安隊に改編されるとそのまま保安次長に横滑りして長官は吉田首相が兼務していたため実質的に長の座に復帰しました。その後、木村篤太郎法務大臣が保安庁長官に就任したため再び次級者になり、昭和29(1954)年に保安庁から防衛庁に改編されると防衛次長に横滑りしています。
昭和32(1957)年に香川県で行われた衆議院議員補欠選挙に出馬して当選すると、昭和34(1959)年の参議院選挙では出身地である愛媛県から出馬し直して当選しています。早い話がこれも横滑りでしょう。
国会議員としては池田内閣で行政管理庁長官、北海道開発庁長官に就任すると佐藤栄作内閣でも留任=縦滑りし、第3次佐藤栄作内閣では次級者に留まり続けた防衛庁長官に就任することができました。ところが就任1ヶ月足らずの昭和46(1971)年7月30日に高速の全日空機が航空自衛隊の旧式の練習戦闘機に追突した雫石事件が発生したため引責辞任することになったのです。
こうして振られ続けている防衛庁長官の職に田中角栄内閣で再任され、内閣改造でも留任=縦滑りして半年が経過した5月26日に昭和の陛下に「当面の防衛問題」を内奏する機会を得たのですが、「近隣諸国に比べて自衛力がそれほど大きいとは思えない。何故、国会で問題になっているのか」とのご下問があり、それに「仰せの通りでございます。我が国は専守防衛で野党に批判されるようなものでは御座いませぬ」と回答すると「防衛問題は難しいだろうが国の守りは大事なので、旧軍の悪いところは真似することなく、良いところは取り入れてしっかりやって欲しい」とのご内意を賜わったのだそうです。
これまで横・縦滑りを繰り返してきた増原長官の習い性が出たのか記者会見の席で口を滑らせてしまい、本来は秘すべき陛下からのご内意を公表した上、「防衛二法(防衛庁設置法と自衛隊法)の審議入りを前に勇気づけられた」と発言したため、これが5月28日の朝刊に掲載されると野党から「天皇の政治利用である」との批判が起こり、与党からも軽率さを非難する声が出て辞任に追い込まれました。
警察予備隊は本来、アメリカでは州兵が担当している治安維持と不法侵入者への対処を目的に創設された武装組織であり、元軍人たちが公職追放で採用できなかったため旧内務官僚や警察官が大量に送り込まれたのですが帝国陸海軍への憎悪を自衛隊にも向け、警察の下位に貶めようとする輩が大半でした。増原長官はどうだったのでしょうか。
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  1. 2019/05/29(水) 11:09:05|
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