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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月1日・名鉄7000系=パノラマ・カーが就役した。

野僧が生まれるピッタリ1ヶ月前の昭和36(1961)年の明日6月1日に長年にわたり名鉄電車の代名詞になっていた7000系=パノラマ・カーが就役しました。
野僧が産まれた頃、両親は名古屋市南区の名鉄・笠寺駅の高架下のアパートに住んでいたため名鉄の線路の音を胎教にしていたのですが、産まれる1ヶ月前にパノラマ・カーが就役すると独特のメロディー警笛を鳴らしながら駅に入ってくるようになったため完全に覚えてしまい、どれほど激しく泣いていてもパノラマ・カーが来ると機嫌が直って笑い始めたそうです。おまけに保育園からピアノを始めると鍵盤で遊んでいるうちにパノラマ・カーの警笛を探り当て、練習に飽きると弾くようになってしまいました。黒の半音の鍵盤の両端と中央の3つを「左右中左右中左右左中」の順で弾けます(小学校のたて笛ではド・ファ・ラでやっていました)。
その後、親の実家への帰省の度に利用するようになり(天井に速度が表示されていたのに熱中しました)、やがて蒲郡市の高校に入ると途中の豊川駅(同じ敷地内でも別の駅)と豊橋駅、蒲郡駅には名鉄が乗り入れていたのでは朝夕にパノラマ・カーの顔を見ると嬉しくなったものです。そんなパノラマ・カーについては高校の鉄道研究会の会員が歴史から車体までマニアックに教えてくれたので、東京の大学生たちがパノラマ・カーを見て「小田急のロマンス・カーの真似をしてやがる」と言ったため「ロマンス。カーの方が2年遅い。ロマンス・カーこそ同じ日本車両製造の模造品だ」と反論したこともあります。
パノラマ・カーの誕生は昭和30年に就任した名鉄の副社長が自動車時代の到来を予測して「常に魅力を発信し続けなければ鉄道に将来はない」と広く社員の意見を聴いていた中で「前が見える列車を作りたい」と言う提案が出されたことによります。
名鉄の特急は豊橋駅から新岐阜駅までと営業距離が短いため特急料金なしで乗れるのですが、当時、同じく名古屋駅に乗り入れているライバルの私鉄・近鉄が2階建て列車のビスターカーで鉄道友の会のブルーリボン賞を受賞したため名鉄の上層部には対抗意識が燃え上がり、全国どころか世界でも前例がない前面が全面ガラス張りで乗客の座席になっている特急用車両の開発が決定したのです。
ここで問題になったのが安全性で当時は全ての踏切に警報装置が設置されておらず歩行者だけではなく車両との衝突事故が頻発していました。このため名鉄では通常の車両以上の強度を確保するため強化ガラスと最前列の座席の間に巨大な緩衝装置を装備させました。実際、就役から半年後に木曽川堤駅付近の踏み切りに警報装置を無視して進入した砂利を満載したダンプ・カーと衝突した事故では時速85キロ出ていたため急ブレーキをかけても間に合わず約40メートルも引き摺ることになりましたが、ダンプ・カーの部品で側面のガラスがひび割れて破片が当たった乗客8名が軽傷を負っただけでした。この事故でパノラマ・カーの安全性は実証されたものの名鉄社内では強度が劣る通常の車両とパノラマ・カーの正面衝突事故に対する危機感が脅迫観念になったそうです。
そんなパノラマ・カーは昭和37(1962)年のブルーリボン賞を受賞し、2009年8月30日に引退するまで沿線の風景になっていました。
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  1. 2019/05/31(金) 11:09:02|
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