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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1570

淳之介は病室であかりの寝顔を眺めていた。出産の疲労を回復するには何よりも安眠することだが、胃袋が十分に機能していない新生児は頻繁に母乳を欲しがるため長時間の睡眠が取れない。そこは男とは比べ物にならない強靭な肉体を持つ女だから耐えられるのだ。
「メールかァ」病室の台の上で淳之介の携帯電話の画面が点滅を始めた。携帯の電波の悪影響が指摘されているのは心臓のペース・メーカーのパルス信号の乱れなどが中心なので産婦人科では看護師の許可を得れば問題はない。
「親父からか、名前を考えてくれたんだな」淳之介はあかりと我が子が目を覚まさないように小声で呟きながら携帯の画面を見た。
「何々、上から推薦順だって。親父らしいな」何でもキチンと筋目を立てるのがモリヤ家の流儀だ。思いついた候補を並べて後は自分で選べと言う大雑把なことはできないのが父の性分だ。これも子供の頃には肩がこったが自分も仕事をするようなると見習うべき点も多い。
「1位は恵祥かァ。意味は幸いの恵み。字のバランスが好い。なるほど」父のメールは中身が濃いので適当に読むことができない。淳之介は国語の通信講座を受けているような気分で少し姿勢を正してから携帯の画面を見直した。
「2位は恵生、意味は生命の恵み、恵みを受ける人生。これは辞書じゃあなくて親父の解釈だな」父は本を読んでもそれを鵜呑みにするのではなく内容を熟考して同じ主題の本と読み比べることがよくあった。淳之介にはその理由を「茶筒は上から見れば円形、真横からは長方形の物に見える。視点を換えてようやく円筒形であることが判る」と説明していた。
「3位と4位は同点・・・何だこれは」意味不明の説明に淳之介は首を傾げた。父は選んだ候補に得点をつけて順位を決めたのだろうか。
「恵松、意味は常緑樹の松は生命力の象徴、ただし琉球松はイメージが違う・・・この言い方は何か別の意味があるな」流石に息子は父の説明に微妙な附会(こじつけ)を感じ取った。確かに琉球松の葉は針のように硬く鋭い本土の松とは違って細く長くやわらかいため降り積もる雪に耐える強さは感じないがワザワザ断る必要はない。
「そうか、玉城家の名前だな。安里家の恵に俺の沖縄の実家と合わせると言うことかァ」沖縄で暮らす淳之介にとっては産んだ母親の実家である玉城家が出身のモンチュウ(門衆)になる。それをハッキリ言わないところも父らしい。
「それでもう1つの同点が・・・恵梢、これに意味はいらんよ」父からのメールには「樹木は大地に根差し、その先端である梢は高い志を示す」と附会の意味が付してあるが義母の名前を取ったは明らかだ。義母は父の名を取って「恵任(けいとう)」を提案したが父も同じことやってきた。相変わらず2人の波長はピッタリと一致している。
「紙に安里の苗字と一緒に縦横に書いて字のバランスを確かめろかァ」淳之介は父らしい助言が補足されているのを読んで仕事時間中にここまで念入りに考えさせてしまったことを少し反省した。考えてみれば義祖父母は元教師だから相談相手になったはずだ。その祖父母は一緒に帰宅した。今夜の付き添いは明日の午後には石垣島に戻らなければならない淳之介の担当だ。
その時、赤ん坊が顔を歪め、小さな手で拳を握ると大きく息を吸った後、泣き声を上げ始めた。同時にあかりが目を覚まし、泣き声がする方向に手を伸ばした。淳之介はその手首を押さえて胸に当てさせると箱型のベビー・ベッドから我が子を抱き上げた。首が座っていない新生児を抱く時は肘を枕にして腕で身体を支えなければならない。視覚で位置関係が確認できないあかりを熟練させるためには手で渡すことから始めることになる。
「ケイショウくん、お待ちどおさま。おっぱいだよ」淳之介が我が子の体重と体温を確かめている間に乳房を出して絞った濡れタオルで乳頭の周りを拭いたあかりが声をかけて両手を差し出した。淳之介はあかりが作った肘に頭を載せ、腕に身体を寝かせた。あかりは指で我が子の口の位置を確かめて乳房を吸わせた。新生児の場合、乳房が鼻と口を塞いで窒息させてしまうこともある。あかりは乳房を絞って母乳を口の中に流し込みながら神経を最大の感知にして我が子の気配を探っている。淳之介はこれから視覚障害者のあかりが子供を育てることの苦労を思いながら新たに母子となった2人の姿を見守っていた。
あかりまでケイショウと呼んでいるのだから読みは決まった。問題は漢字の選択だがあかりには意味だけが優劣の基準になる。つまり我が子が一生使う名前を最善のモノにする責任は淳之介にかかって来るのだ。淳之介はあかりのベッドに腰を下ろすと食事用の机の上に手帳を開き、父が言ったように「安里恵」の下に候補の漢字を縦横に書き並べてみた。書いている間に別の字が浮かばないかと期待したが父に敵うほどの知識がないことを思い知っただけだった。
つ・安里あかりイメージ画像
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  1. 2019/06/01(土) 11:34:55|
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