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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1574

被災地では仮設住宅の建設が始まって避難者が移り住むと学校の体育館などが都会からのボランティアに提供され、復興支援も本格化してきた。これを受けて宮古市でも第3普通科連隊は派遣部隊の規模を縮小し、交代で現地での作業に当たる態勢に移行することになった。
「森田、俺だけが先に帰ることになって申し訳ないな」「いいえ、可愛い奥さんが待っているんですから早く帰って下さい」第3普通科連隊ではやはり妻帯者を優先的に帰すことになっている。本来は疲労の回復力が落ちているベテランから帰すべきかも知れないが、階級の構成が崩れてしまうため若い安川3曹も第1次帰隊組に加えられたのだ。逆に独身の森田曹侯補士は残留して引き続き復興支援に当たるのだが、これには「名寄に帰すと例の人事に対する不満を行動に移す危険性があるため作業に追われて連絡手段もない現地に残した」と言う実(まこと)しやかな噂も陸曹の間ではささやかれている。
「しかし、お前も雪うさぎさんとデートの約束したんだろう」「あれは本気かどうか判りませんよ」安川3曹の指摘に森田曹侯補士は照れたように笑った。仙台FMが全国の人気DJを集めて放送した被災者激励番組に参加していた旭川ローカルFMの雪うさぎは隣町の名寄駐屯地の第3普通科連隊が岩手県の宮古市に派遣されていることを昭和一郎から聞き、番組が終了して陸路で北海道へ帰る途中で慰問に寄ったのだ。この時、避難所になっている小学校で炊き出しをしていた森田曹侯補士の調理の腕前に感心して声を掛け、談笑した流れでデートの約束をしていた。その現場には安川3曹も立ち会っていた。
「ところで雪うさぎは何歳なんだ」「自分は名寄で番組を聴いてますけど、『個人情報は内緒』って言いながら高校時代の思い出なんかから推理すると30歳代の前半くらいじゃあないですかね」「するとお前よりも10歳も年上だな」流石に安川3曹は「ババア」とは言わなかったが「10歳年上の女性が真面目にデートの約束をするはずがない」と苦笑しながらも、あの時の雪うさぎの目が真剣だったことを思い出していた。
「ここじゃあメールも届かないから連絡できないよな」「いいえ、何枚か葉書が届きました」意外な展開に安川3曹は呆気にとられて開いた口が塞がらなくなった。宮古市ではようやく電話回線は復旧し、避難所付近の携帯電話のアンテナも立ち始めているが、発電所が停止した電力は大幅に遅れており、関東から提供を受けている電力は公共施設の使用分に限定されている。このため個人の携帯電話は充電ができず事実上は使用不能だ。
「と言うことは本名が判ったのか」「自宅から送ってきていますから本名ですよ」実は安川3曹も聡美と車で出かける時にカー・ラジオで雪うさぎの番組を聴くことがある。強烈な郷土愛の持ち主で屯田兵の歴史なども普通に紹介するので思想的にも好感を持っていた。それにしてもアナウンサーやDJを含めてマスコミ関係者にはどうして反戦平和=反軍・反自衛隊を語りたがる人間が多いのだろうか。
「それで何て言うんだ。教えろよ」森田曹侯補士が続きを言わないと安川3曹は妙に気色ばんで追及してきた。その時、少し上官風を吹かせたのは言うまでもない。これは中隊本部の来簡簿で確認すれば判ることだが、庶務係の1曹に見せてもらう理由が見つからなかった。
「駄目です。個人情報は内緒ですから」「守秘義務は守るから・・・なッ」森田曹侯補士は愛妻一筋だと思っていた安川3曹が意外に喰い下がるので呆れながら顔を見た。やはり精力が湧き上がっている若い妻帯者に長期間の単身赴任をさせることは精神面に悪影響が生じるらしい。妻帯者は性的欲求を解消する対象が身近にいるので独身者以上に欲求不満が溜まってしまうのだ。確かに今更、自慰行為にふける気にはならないのだろう。
「仕方ないですね。本当に内緒ですよ」「うん」森田曹侯補士が顔を近づけたので安川3曹も身を乗り出した。この姿勢は昔懐かしい「内緒話」だ。
「白井聡美です」「ふーん、可愛い名前だな・・・・馬鹿、それは女房の独身時代の名前じゃあないか」結局、森田曹侯補士のはたき込みに安川3曹は敗退した。この手の話題では諦めが良い安川3曹は先輩の顔に戻って心配を再開した。
「それでお前からは返事を出しているのか」「いいえ、葉書や切手が入手できないんで無理です」市街地の郵便局やコンビニは再開し始めているが、作業中に立ち寄ることはできず宿営地からは離れているので購入できなかったようだ。
「手紙を書けよ。俺が切手を貼って出してやるから」「それじゃあバレバレじゃあないですか。でもお願いします」安川3曹の人間性を熟知している森田曹侯補士は素直に頭を下げた。
それから帰隊者が出発までの短い時間に森田曹侯補士は宿営地の調理場の配食台で手紙を書いていた。便箋はコピー用紙、封筒は安川3曹が中隊本部でもらってきた茶封筒だった。
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  1. 2019/06/05(水) 12:32:57|
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