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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月6日・ザ・ロンギスト・デー=史上最大の作戦が始まった。

1944年の6月6日に1962年の原題「ザ・ロンギスト・デー」=邦訳題「史上最大の作戦」や1998年の「プライベート・ライアン」として映画になったノルマンディー上陸作戦が始まりました。
1939年9月1日から始まったヨーロッパにおける第2次世界大戦はナチス・ドイツによるポーランド侵攻を発端にして1940年の春までにノルウェー、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、フランスを占領してダンケルクでイギリス軍を大陸から追い落として以降は膠着状態に入り、バトル・オブ・ブリテンと北アフリカ戦線を除けば1941年6月にソ連に侵攻したことで東部戦線だけの戦争になっていました。
1943年になって連合軍は北アフリカからナチス・ドイツとイタリアを駆逐してイタリアやギリシャに上陸したもののナチス・ドイツの頑強な抵抗に遭ってアルプスを越えてドイツ本国に迫ることができないでいました(テレビ・ドラマ「コンバット」で描いているようなアメリカ軍の連勝ではなかった)。すると独ソ戦の長期化に苦しむスターリンさんから戦争そのものを打開する最大規模の作戦を強く要求されて考えられたのがドーバー海峡側から侵攻するこの作戦でした。
作戦の立案は1943年1月から始まりましたが、先ず上陸地点を距離的に最短のカレー港と上陸適地のノルマンディーのどちらにするかが問題になり、最終的にはナチス・ドイツ側がカレー港への侵攻を想定して強固な陣地を構築し、兵力を集中させていることが判明したためノルマンディーに決定したのです。ナチス・ドイツ側でカレー港を想定した一極集中の準備を命じたのはヒトラー総統であり、劣勢に陥って猜疑心が強くなっていたヒトラー総統の決定に異論を唱えられる将帥はいなかったと言われています。
1943年12月に連合軍側の作戦が決定し、ドワイト・アイゼンハウアー・アメリカ陸軍大将が連合軍遠征軍最高司令官に就任し、翌年1月にはバーナード・モントゴメリー・イギリス陸軍大将が地上部隊の最高司令官に指名されました。するとフランス亡命政府のド・ゴール将軍は自分を最高司令官とするフランス軍を中心にした編成を要求しましたが、戦後も国際社会を悩ますことになる虚栄心のみで発した嫌がらせでしょう。
こうして始まった「史上最大の作戦」の詳細は映画に描かれている通りで12000機もの爆撃機と戦闘機による徹底的な空襲・攻撃と1000機の輸送機による空挺部隊による奇襲攻撃から始まり、続いて軍艦130隻による艦砲射撃と4000艙の上陸用舟艇での上陸作戦が実施されました、ところがドイツ軍の陣地は連合軍側の想定以上の強度を持ち、空襲や艦砲射撃に耐え、上陸部隊に熾烈な砲銃撃を加えたため多大の犠牲を強いました。それでも最終的には200万人近い将兵がドーバー海峡を渡った正に史上最大の作戦です。
しかし、ナチス・ドイツが降伏したのはソ連軍がベルリンを陥落させた1945年5月7日(連合国戦勝記念日は5月8日)であり、ノルマンディーからベルリンまでもナチス・ドイツは頑強に抵抗して激戦が続いたのは確かで、ハリウッド映画を見てアメリカ軍が一方的に戦いを進めていたと思い込むのは止めた方が良さそうです。
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  1. 2019/06/06(木) 12:07:00|
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