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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1577

行動命令中のため名寄に帰った隊員たちは休暇を取得することができない。さらに災害派遣部隊を縮小した理由は旭川駐屯地の所在部隊が代行している士別市以北の警備(治安出動を想定した用語)に復帰することであり、休養期間も自宅待機が原則だ。そんな穏やかな時間を過ごしている安川3曹に聡美が心配な話を持ち出した。
「お隣のご主人が帰ってから毎晩酷くうなされてるんですって。奥さんがすごく心配してるの」「うなされてる・・・」それは隣りの住人に限らず宿営地でも深夜に巡察していると個人天幕からうなされる声が聞こえていた。部隊が飲酒を認めるようになったのには「少し酔うことで眠りを深くしよう」と言う配慮もあったのだ。
「片づけた死体が夢に出てきて助けを求めてくるって。それが1人じゃあなくて手足に掴まって逃げられないから布団の中で暴れるて言うの」宿営地では寝袋だったので暴れることはできなかったが、その分、金縛りに遭った話は毎度のように聞いていた。
「奥さん、精神科に通院した方が良いんじゃあないかって真剣に悩んでるみたい」宿営地では幽霊騒動も日常的で隊員たちはそれにも慣れてしまっていた。中には衛生隊で睡眠導入剤を処方してもらう神経質な人間もいたが、精神科は専門外の医官は妙な裏話を語っていたらしい。
「海外では先ず心理カウンセラーが相談を受けて病的なクライエントを精神科医に紹介するんだが、日本では精神科と心理学界が対立していて患者を奪い合ってるんだよ」これは完全に請け売りで使っている専門用語も聞き覚えだ。
「だから始めに精神科に受診すると精神病患者にされて薬漬けになってしまうから気をつけないといけない。大体、日本の精神科医は大学の医学部で内科や外科になれない落ちこぼれだって言っていたぞ」これも被災者の精神面の診断が続いてストレスが溜まっていた医官の愚痴に近い揶揄なのだが、日本の精神医学と心理学界が抱えている問題点でもある。
「大酒を飲んで酔い潰れてしまえはどうだ」「お酒を飲んで寝ても駄目みたい」聡美は「貴方は大丈夫」と訊きたかったようだが口にしなかった。隣りの住人は1年前に違う中隊に転属してきた2曹で10歳近く年上だ。そんなベテランが精神的な負担を持ち返っているのに夫は毎晩熟睡している。聡美は心配と同時に疑問を感じていた。
「俺はお前を思いっ切り抱いて意識を失っているから夢なんか見ないよ」確かに毎晩の夫婦の営みは結婚して名寄に来た頃が復活したように激しい。しかし、それだけが理由ではないことを聡美は妻の勘で察している。聡美の目を見て安川3曹は少し表情を硬くして話を続けた。
「それに俺はイラクで瓦礫に埋もれた遺骸を掘り起こして埋葬したことがあるからな。ミサイルの爆発で砕け散った遺骸に比べれば安心できたよ」隣りの2曹はイラク派遣には行っていないので大量に遺骸を見たのは初めての経験だったのかも知れない。イラクでは多国籍軍の空襲で倒壊した瓦礫を撤去すると炎天下で腐敗した遺骸や肉片が出てくることも珍しくなかった。その他にも住民同士の抗争で死亡した遺骸を自治政府の要請で搬送することもあったが、頭部が吹き飛び、腹部から内臓がはみ出している悲惨な姿を思えば人間としての形を保っていただけでも救いがあった。あの頃、聡美は愛知県の安川3曹の実家で無事を祈りながら帰還を待っていて新聞や雑誌、テレビなどで陸上自衛隊の活動には細心の注意を払っていたつもりだったが、夫はマスコミが報じない過酷な状況も数多く経験してきたようだ。逆に安川士長(当時)は聡美の祈りを感じていたからこそ悲惨な現場でも精神の安定を保つことができたのだ。
「貴方、雪うさぎのラジオが始まるわよ」数日後、週に1回放送される雪うさぎの番組が始まった。安川3曹としては小樽港で投函した森田曹侯補士の手紙の反応が気になっているので読みかけていた雑誌を伏せてCDラジオに顔を向けた。聡美は台所からジュースを注いだダグラスを2つ持って来て前に座った。
「こんばんは、こんばんは、こんばんは。も1つおまけにこんばんは。雪うさぎです」さだまさしの「北の国から」の主題歌に続いて雪うさぎの挨拶が入った。
「早速ですが名寄市のK&Sさんから質問のメールが届いていますからお答えします」最初に紹介されたメールに聡美は何故か自慢そうな笑顔を見せた。この夫婦の名前は和也と聡美だ。
「先週の放送で名寄の自衛隊が災害派遣から帰って来た歓迎の歌としてキャンディーズの『年下の男の子』を流したんですが、その理由は・・・私・・・今・・・恋してるんです」突然の告白に安川3曹は飲みかけていたジュースを噴き出してしまい、聡美がティッシュを手渡した。
「私が仙台での仕事を終えて帰って来る途中で岩手県宮古市に派遣されている名寄の自衛隊を応援しに寄ったことはお話ししていますが、そこで運命的な出会いがあったんです」安川3曹にとっては自分が立ち会った場面がラジオで語られる。固唾を呑んで全身を耳にした。
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  1. 2019/06/08(土) 13:40:23|
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