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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月10日・第1次世界大戦でオルティガーラ山の争奪戦が始まった。

第1次世界大戦中の1917年の明日6月10日からイタリア軍とオーストリア・ハンガリー軍がイタリア北部の要地・オルティガーラ山を巡って熾烈な争奪戦を始めました。
イタリアは当初、第1次世界大戦において中立の立場を取っていたのですが、開戦から1年が経過しつつあった1915年の5月23日になって「長年にわたる領土紛争を解決する好機」と見てプロシア=ドイツを除きオーストリア・ハンガリーにだけ宣戦を布告しました。その結果、オーストリア・ハンガリーは3方面に戦線を拡大され、戦力の分散を余儀なくされたのですが、イタリアとの国境の大部分はヨーロッパ・アルプスの山岳地帯だったため兵力では圧倒的多数でありながら山岳戦闘に熟練しているオーストリア・ハンガリー軍に歯が立たず、大規模な攻勢を繰り返しながらも目的としていた領土を奪取することはできませんでした。しかし、1年後の1916年5月15日にオーストリア・ハンガリー軍が攻勢に転ずると手薄になった東部方面をロシア軍が突いたため撤退を余儀なくされ、それに乗じて意図していた軍事境界線まで押し返すことに成功したのです。
その状態で膠着状態に入って1年が経過したこの日、イタリア軍は奪い返し残した緊要地であるオルティガーラ山の奪取を目指して攻勢を開始しました。オルティガーラ山はイタリア半島に伸びたヨーロッパ・アルプスの裾野にある海抜2105メートルの岩山ですが、標高差1500メートルの渓谷に接しているため攻守双方にとって熾烈な戦闘になりました。イタリア軍は30万人もの兵員と1600門の火砲を2.3キロの狭い範囲に集中投入しましたが、オーストリア・ハンガリー軍は岩場を利用した堅牢な陣地にこもって被害を免れ、頑強に抵抗したのです。結局、イタリア北部の山岳地帯出身の将兵が岩場をよじ登ってオーストリア・ハンガリー軍の陣地を各個撃破して1000名を捕虜にして、増援部隊の到着によって山全体を占領することに成功しました。
当然、オーストリア・ハンガリー軍は奪還のため攻撃を加えてきましたがイタリア軍の反撃も凄まじく、山岳兵同士が日本軍のような銃剣やナイフを使った白兵戦を繰り広げ、山全体に遺骸が散乱する悲惨な光景が現出したのです。この戦闘でオーストリア・ハンガリー軍は4カ所の全ての陣地を奪還しましたがイタリア軍はさらに大部隊を投入して奪い返し、6月25日の攻撃を最後に奪還を断念したため占領が継続することになりました。
この時、オーストリア・ハンガリー軍は毒ガスの砲弾を撃ち込みましたが(当時は武力紛争関係法で禁止されていなかった)、風が強い山岳地帯では効果が薄いため相互が繰り返す復仇の応酬は起きなかったようです。
この戦闘でオーストリア・ハンガリー軍は9000人、イタリア軍は23000人の死傷者を出しているためオルティガーラ山には100年以上経過した現在も遺骸が回収し切れずに残っていて、あまり人が入らない場所では白骨を見つけることになるそうです。尤も南方戦線や太平洋諸島、硫黄島、沖縄本島、驚くほど広範囲の海底、そして満州やシベリア抑留で死んだ日本人の遺骨も残ったままになっています。イメージで言えば硫黄島のような場所なのかも知れません。
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  1. 2019/06/09(日) 10:17:22|
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