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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1580

「10歳年上の30代でバツイチかァ」宮古市の宿営地で森田曹侯補士は夜間も灯りが点いている調理場の行事用テントで安川3曹からの手紙を読んいた。このことは2回目に届いた封書で正直に告白されている。雪うさぎは「1時間に満たない出会いで年甲斐もなくここまで気持ちが高まっている自分を恥じている」と書いていたが実は森田曹侯補士も同様だった。
「俺の年齢上限は10歳までだったんだけどな」男女に関係なく交際相手を選ぶのに必要最小限の基準を設定するのは常識だ。女性の場合、それが結婚相手となると容姿、身長から学歴、職業、収入、さらに家庭環境まで詳細で厳格、具体的になる。その点、森田曹侯補士は高卒の陸士長であり、しかも遠からず失職する予定だ。家庭環境は自衛官夫婦の1人息子なので基準に合致するのは180センチを超える身長と人並み以上の面貌、そして鍛え抜いた肉体くらいだ。一方、雪うさぎは確かに大人の女の魅力は感じたが、これまで対象にしてこなかった年齢層であり、対話をすることさえ予定していなかった。それが大きな目で見つめられた瞬間に背筋に電気が走り、心臓が喉から飛び出しそうになって、それからは抱きつきたい衝動と戦っていた。
森田曹侯補士自身は父親の転属の都合で入ることになった愛知県の私立高校では運動部の花形だったため女生徒の憧れの的であり、名寄でもスキー客や観光客を引っ掛ければ性欲の解消に不自由したことはない。ただ、地元の女性を相手にする時は自衛隊に対する感情を傷つけないよう慎重であることを指導されており、面倒臭いので手を出さなかった。
「俺がマジで惚れた相手が10歳年上とは・・・若しかしてこれが初恋ってやつか」森田曹侯補士は安川3曹からの手紙を封筒に収めるとテントの中央に吊ってある裸電球を見上げた。
「つき合うのは良いけど・・・」繰り返しになる言葉を呑み込んで考えてみると遊びで抱いた都会からのスキー客の中には10歳以上年上の女性もいたが歴代の彼女にはいない。何よりも自衛隊では遊びで抱いた相手と風俗や水商売の女性は交際経験には含まないのだ。
「それにしてもラジオで交際宣言されちまったら俺はどうすれば良いんだ」安川3曹からの手紙には雪うさぎがラジオで語っていた内容が詳細に書いてある。森田曹侯補士は腕組みをして相談する相手を考え始めた。雪うさぎよりも少し年上の妻帯者、それでいて自衛隊の常識だけの杓子定規ではない柔軟な思考の持ち主で、プライバシー保護にも信頼ができる人物となると現地部隊に残留している1曹、2曹クラスでは帯に短し、襷(たすき)に長しだ。
その時、周囲は暗くなっている通路を歩いてくる足音がした。宿営地に出没する幽霊たちは足音を立てないので生きた人間なのは間違いない。テントの裸電球は屋根で遮られて低い方向しか照らさないため足から見えて来る。
「森田、また雪うさぎから手紙が届いたのか」その声は中隊長の松山3佐だ。森田曹侯補士は急いで立ち上がると姿勢を正して10度の敬礼をした。松山3佐はそれに片手を上げて答えると前の席に腰を下ろし、森田曹侯補士も座らせた。
「中隊長、相談に乗っていただけますか」思いがけず最適の相談相手が現れて森田曹侯補士は単刀直入に切り出した。松山3佐は日頃の妙に白けた顔ではなく不思議に優しい笑顔を見せて両手をテーブルの上で結んだ。これは了承の合図だ。
「実は雪うさぎがラジオで自分との交際宣言をしてしまったそうなんです。勿論、名前は出していませんが判る人には判るでしょう」雪うさぎ一行を案内していた松山3佐も2人の出会いに立ち合っていた。その時、2人に間に赤い閃光が走ったように感じたのだが、現実主義者としては目の錯覚として自分を納得させている。
「雪うさぎは何歳なんだ」「32歳だと思います」「すると10歳年上かァ。随分、年下の男の子だな」思いがけず松山3佐の口から雪うさぎが自分の歓迎のために流したと安川3曹が書いてきた歌の題名が出たため質問を変えてみた。
「中隊長はキャンディーズに詳しいですか」唐突な質問に松山3佐は呆気にとられた。森田曹侯補士は父親が秘蔵しているアイドル歌手のミュージック・テープの中でベスト集を見た覚えがあるが、どれが持ち歌なのか判らない。やはり変に恥じて父親は母親や息子に隠れて聴いていた。松山3佐は父親よりも10歳は年下なので少し無理な質問かも知れない。
「確かに入隊した頃のオヤジたちが聴いていたような気もするが、俺たちはウィンクやプリプリ(プリンセス・プリンセス)、スピードの世代だから昭和のアイドルは知らないな」森田曹侯補士には松山3佐が並べたバブル臭が漂うアイドル・グループも幼児期の記憶だった。
「雪うさぎさんが自分のために歌を流してくれたんですが知らなくて」「それじゃあ明日にでも先任に訊いてみよう。なんなら隊歌演習として唄わせてやろうか」松山3佐は悪戯っぽく笑うと立ち上がってトイレに向かって歩いて行った。
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  1. 2019/06/10(月) 11:44:54|
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