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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1583(一部、実話です)

石垣島に帰った淳之介は実に悩ましい毎日を送っている。親の居住地である石垣市役所に出生届書を提出して手続きは終わっても頭の中で考えることはあかりと恵祥のことばかりだ。ところが仕事になれば刻々と変わる海の状況に細心の注意を払い、乗客の様子にも気を配りながら船を操舵して安全運航に万全を期さなければならない。淳之介はそんな無理に精神を仕事に向ける努力に疲労を感じてしまっていた。かと言って酒で紛らすのも2003年の「船舶職員及び小型船舶操縦者法」の改定を受けて取り締まりが過剰になっているため毎朝、呼気検査機でアルコール濃度を測定され、引っ掛かれば乗務は停止、給料は罰金を含めて大幅に減額されてしまう。事実上、勤務の前日は禁酒を強いられているのだ。
「全く疲れる時代になったもんだ」とベテランたちは検査の度に文句を言っているが、離島の利用者は兎も角として都会からの観光客に疑惑を抱かれればマスコミに通報されるだけでなくインターネットで社名入りの非難記事を投稿されることになるから黙って従うしかない。ベテランたちはビールを片手に操舵していた昭和の武勇伝を誇示し合っているが平成の船乗りの淳之介には別世界の話だった。平成の日本が全てに矮小化しているのは間違いない。
淳之介は今日も仕事帰りに寄ったスーパー・マーケットの総菜コーナーの値引きになったオカズを買って帰り、侘しい夕食をすませた。その後は退院して安里家に帰ったあかりと長電話すると残りの時間を持て余してしまう。テレビもあかりが隣りにいて画面の説明をしながら見るから楽しいのであって1人では全く味気ない。本土の話題ばかりの雑誌を読むのにも疲れた。
「親父はどうやってストレスを解消してたのかな」最近は社会人の先輩として父の人生を見直すことが増えてきた。父はカンボジアPKOから帰り、自分を生んだ女が愛人を作って家庭は崩壊させた頃から幹部自衛官としての仕事と同時に子育てにも励んでいた。今の母と結婚してからも交代で演習に出かけると家では自分と志織の2人の子育てに精を出していた。そんな父がストレスを発散するために何かをやっていた記憶が見当たらない。
「そう言えば寺の坐禅会と日本拳法の道場に通っていたよな」それは守山時代の話だ。阪神大震災の災害派遣で知り合った覚王山日泰寺のお坊さんに誘われて坐禅会に通うようになり、みるみる坊主化していった。日本拳法の道場へは母と自分も入門した。しかし、あれを修行・鍛練と考えると逆にストレスが溜まりそうだ。
「酒はパジャマ・ミーティングだったよな」それは子供が眠ってから居間で始める晩酌のことだ。淳之介は小学校の高学年になって寝る時間が遅くなると話の内容を聞くようになったが、難しいニュースの内容やさらに難しい戦争の知識を何故か楽しそうに議論しながら酒を酌み交わしていた。時々、思い出話に花が咲くと自分が布団に入って目を閉じているのを確認してから襖の向こうで怪しい物音と母の悩ましい声を聞いたような気がする。果たして何をやっていたのだろうか。今なら分かるが当時は謎だった。
「結局、親父のストレス解消は家族だったんだろうけど、善通寺で父子家庭だった時も暗くはなかったぞ」今思えば父不在の善通寺で淳之介は育児放棄されて保育所と自宅を往復するだけの生活だった。父は淳之介の精神的リハビリを使命と考えたのかも知れない。あの父は使命感だけで生きているのだから(坊主的には「菩提心」だが淳之介は知らない業界用語だ)。
「やっぱり趣味でも持つかな」あかりが石垣島に帰ってくるのは早くとも恵祥が自分で意思表示ができるようになってからだと言われている。視覚障害者のあかりでは恵祥が泣いても状況が確認できず、深刻な事態に陥る可能性が否定できないのだ。そうなると2年近くは単身赴任生活になる。その有り余る時間を無駄にするのは勿体ない。
「日拳を再開したいけど道場がないからな」琉球唐手(とゥでィ=沖縄での空手の呼称)の本場である沖縄に日本拳法の道場は見当たらない。高校時代に探したが那覇市内にもなかった。少林寺拳法はあったがこちらも石垣島にはない。
「この際、音楽の趣味を始めたいな」突然、妙な希望が湧いて出た。考えてみると淳之介は小学生の頃には日本拳法の他には習字と算盤(そろばん)を習ったが音楽関係の教室には通っていない。父は幼い頃、祖母の趣味でピアノを始め、母親を喜ばせたい一心で練習に励んで小学校2年の頃にはショパンやシューベルト、モーツアルトなどのピアノ曲を弾けるようになったのだが、先生から「そろそろ自分のピアノを買ってあげて下さい」と言われた途端に止めさせられたらしい(それまではオルガンで練習し、隣りの家のピアノを借りていた)。その反動なのか子供には色々なジャンルの曲を聞かせながら解説するだけで教室には入れなかった。
「やっぱり蛇三線(さんしん)かな」職場にも蛇三線を趣味にしていて先生になりたがる人は多い。淳之介は趣味までベテランを先生にする気にならず別の楽器を考えることにした。
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  1. 2019/06/13(木) 12:06:06|
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