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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月16日・新潟地震が発生した。

東京オリンピックの開幕を4ケ月後に控え、新潟国体春季大会(東京オリンピックと重複するため春に移動した)が6日前まで開催されていた昭和39(1964)年の6月16日午後1時1分に新潟県村上市沖の粟島と新潟市の中間地点の日本海を震源とする新潟地震が発生しました。
この地震で粟島は1メートル隆起したため水利が変わり、水田が維持できなりました。また最大波高4メートルの津波が新潟市や村上市、佐渡島から島根県の隠岐島にまで襲来し、沿岸にある新潟空港の滑走路は地盤の液状化も重なって完全に水没しました。
この地震は過去の大地震では見られなかった特異な被害が多数発生したことで多くの教訓を残しています。先ず新潟は日本有数の石油の採掘地だったため貯蔵タンクの配管が破損して漏れたガソリンが湧き出た地下水と津波によって押し寄せた海水の上に広がって延焼し、他のタンクを次々に類焼・誘爆させていきました。ところが新潟県内の消防署には化学消防車が装備されておらず拡大する猛火に打つ手がなく、自治省を通じて東京消防庁に化学消防車の派遣を要請するのと同時に化学消防車を保有する県内の民間企業に出動要請しようとしたのですが、電話線も寸断されて不通だったためラジオ放送で「××会社の関係者の方に対策本部から派遣要請です。化学消防車を新潟市に派遣して下さい」と繰り返してようやく消火活動が開始されました。それから20時間連続の消火活動によって火勢の拡大を喰い止めたことで最も危険な化合物や水素の貯蔵タンクへの類焼と誘爆は回避されましたが、間に合わなければ新潟市は壊滅していたと言われています。それでも延焼は12日間に及びました。
また戦後の近代化の象徴だった鉄筋コンクリート製の建造物が数多く倒壊しました。中でも信濃川の左岸にあった県営住宅の4階建て8棟のうち3棟が大きく傾き、1棟は完全に横倒しになりました。これまでの地震による建物の倒壊は柱が倒れた上に屋根が載っているのが一般的で原形を留めたまま横転している姿は驚愕と同時に別の恐怖を感じさせました。橋梁も新潟市内では昭和4(1929)年に竣工された万代橋は取り付け部分の破損と沈下だけで車両を含めて通行可能だったのに対して新潟国体に備えて昭和37(1962)年に建設された八千代橋は橋脚が倒れ、開通直後だった昭和大橋は橋桁が落ちる甚大な被害を受けました。
これほどの大地震だったのにも関わらず死者が26名ですんだのは奇跡に近いのですが、その背景には豪雪地帯である新潟県の家屋は堅牢であり、3発目の原爆の予定地だったため戦争で空襲をうけなかったことや発生したのが昼休みが終わって人々が活動を再開する時間だったこと、そして昭和23(1948)年6月28日に発生した福井地震を教訓に対策を取っていた自治体や企業、県民が多かったことが挙げられます。
ところで東北地区太平洋沖地震後、地元を選挙区とする民主党の重鎮・小沢一郎死(し)が復興事業で莫大な利権をむさぼったのは常識ですが、小沢の師である田中角栄大蔵大臣(当時)がオリンピック後に本格化した復興事業で範を垂れたのではないでしょうか。
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  1. 2019/06/16(日) 12:59:48|
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