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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月19日・衆参両院で教育勅語・軍人勅諭の排除・失効が決議された。

昭和23(1948)年の明日6月19日に「教育勅語」と「陸海軍人に賜りたる勅諭(いわゆる軍人勅諭)」の衆議院で排除、参議院で失効が決議されました。
このうち衆議院での決議は「民主平和国家として世界史的建設途上にある我が国の現実は未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の革新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となっている教育勅語並びに陸海軍人に賜りたる勅諭その他の教育に関する諸詔勅が、今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは従来の行政の措置が不十分であったがためである。思うにこれらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基づいている事実は明らかに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。よって憲法第98条(憲法の最高法規性、条約及び国際法規の順守を規定している)の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以てこれらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。右決議する」と言うものです。一方、参議院では日本国憲法と教育基本法の成立による失効と言う主旨でした。
教育勅語と言うのは明治23(1890)年10月30日に明治天皇が山県有朋内閣の芳川顕正文部大臣に与えたと言う体裁を取っているものの実際は熊本藩士の儒学者である井上毅(こわし)さんと元田永孚さんが起草しました。その全文(原文は片仮名で濁音、句読点はない)は「教育に関する勅語・朕惟うに我が皇祖皇宗國を肇むること宏遠に徳を樹つること深厚なり。我が臣民克く忠に克く孝に億兆心を一にして世々厥の美を済せるは此れ我が国体の精華にして教育の淵源亦実に此に存す。爾臣民父母に孝に、兄弟に友に夫婦相和し、朋友相信じ恭倹己れを持し、博愛衆に及ぼし、学を修め業を習い、以て智能を啓発そ徳器を成就し、進て公益を広め、世務を開き、常に国憲を重じ、国法に遵い、一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壤無窮の皇運を扶翼すべし。是の如きは独り朕が忠良の臣民たるのみならず、又以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん。斯の道は実に我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民の倶に遵守すべき所之を古今に通じて謬らす、之を中外に施して悖らす。朕爾臣民と倶に拳々服膺して咸其徳を一にせんことを庶幾う。明治23年10月30日・御名御璽」と言う漢文の経典よりも難解な悪文で、入学式や卒業式,、紀元節や天長節の式典でこれを読み誤ったり、言葉が詰まったため辞職や自死に追い込まれた校長先生たちには心から同情します。
保守系の人たちの中には道徳が科目になったことに便乗して教育勅語の復活を主張する輩も多いですが野僧は絶対に反対です。儒教は本来、帝王学であってこれは天皇が皇族に「国民に忠節を尽くしてもらえる君主たれ」と諭すべきものであり、日本的儒教では本質ではなく形式を強要するため「国に忠義を尽くせ」と言えば命令に従う以外の選択肢はなく、立場を賭して政府の誤りに反対する愛国行動は否定されます。特に野僧は「親に絶対服従すること」を絶対視する時代錯誤な家の子に生まれたことで人生を散々に踏みにじられましたから、この決議で違反者に対する罰則規定を設けなかったことに我慢がなりません。
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  1. 2019/06/18(火) 11:46:56|
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