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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月24日・大阪で吹田事件と枚方事件が発生した。

日本の独立を認めたサンフランシスコ講和条約が4月28日に発効して2カ月が経過する直前の昭和27(1952)年の6月24日に大阪で左翼過激派による吹田事件と牧方事件が発生しました。吹田事件は翌日に及びました。
このうち吹田事件は6月24日の夕方に大阪大学豊中キャンパス内で学生自治会連合が主催する「伊丹基地粉砕・反戦独立の夕(ゆうべ)」と言う集会が開かれて学生や勤労者、農民や女性、さらに多くの在日朝鮮人が参加していたのです(あくまでも主催者発表)。
当時は朝鮮戦争が続いており、開戦初頭には釜山付近にまで追い詰められていた韓国と国連軍が仁川上陸作戦によって形勢を逆転させ、逆に平壌付近にまで押しやって終戦直前に至っていたところに突如として共産党中国が侵攻してきて38度線付近で膠着状態に陥っていました。そして豊中キャンパスの近傍にはアメリカ陸軍のキャンプ刀根山があったため始めから反米を前面に出した集会になり、終了後には国連軍の車両が駐車している国鉄吹田操車場までデモ行進することが決まって陸路で向かう山越部隊と阪急線で移動する電車部隊に分かれて移動を開始しました。
山越部隊は警察予備隊の豊中通信所は素通りしながら途中にある笹川良一氏宅に投石し、さらに国労吹田市部長宅でも竹棒で障子を破っています。一方の電車部隊は最寄りの阪急・石橋駅で駅長と談判して運賃を支払うことを条件に臨時列車を出させ、目的地の梅田駅の1つ手前の服部駅で下車して徒歩で山越部隊と合流しました。これに対して警察は学生たちが吹田駐輪場に向かってデモ行進するには梅田駅で下車すると推理して配備を固めていたのですが裏を掻かれ、所在の確認に手間取っている間に移動した摂津市千里の須佐之男神社で迎え撃つことになりました。しかし、デモ隊の代表者が交渉に応じなかったため人数的に不利な警察が封鎖を解いたので日付が替わった6月25日になって吹田操車場への侵入と集会を許してしまいました。
集会で興奮状態になったデモ隊は吹田駅に向かう頃には暴徒化して、ここで警察隊と激しい闘争を繰り広げ、通り掛かったアメリカ陸軍の准将の車両に投石して顔面に裂傷を負わせ、警察車両に火炎瓶を投げた上、脱出した警察官を暴力したことなどで200名以上が逮捕され、111名が起訴される大騒乱事件になりました。
もう1つの枚方事件は占領中に連合軍に接収されていた帝国陸軍工廠枚方製造所が独立を契機に朝鮮戦争で使用される砲弾を大量に受注している小松製作所に譲渡されることが決まったことで共産党と在日朝鮮人が反対運動を起こし、6月24日の未明に工場内の水圧ポンプに時限爆弾を仕掛けて爆発させたものです。同じ日の夕方に市内の鬼塚山で「朝鮮戦争勃発2周年記念前夜祭」が開催され、その中で小松製作所の役員宅を襲撃することが決まり、山の竹で竹槍を作って無関係の「小松」家に押し寄せて火炎瓶で玄関と私有車、倉庫を焼く火災を起こしたため65名が逮捕されたのです。
この日は火曜日でしたが大阪府警は大忙しだったことでしょう。60年安保闘争の伏線はこの時代の大阪でも引かれていたことが判ります。
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  1. 2019/06/24(月) 11:55:26|
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