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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月28日・福井地震が発生した。

昭和23(1943)年の明日6月28日午後4時13分に記録が残っている中では東北地区太平洋沖地震、阪神淡路大震災に続くマグニチュード7.1の福井地震が発生しました。この地震の規模が測定できたのは占領下だったため気象観測はアメリカ軍が担当していたからです(関東大震災や濃尾地震などは換算による推定)。
震源地は福井県坂井郡丸岡町ですが明治24(1891)年10月28日の濃尾地震=推定マグニチュード8.4を起こした根尾断層や昭和20(1945)年1月13日の三河地震=マグニチュード6.8の深溝(ふこうず)断層と同一線上にあっても深さ200メートルの堆積層で覆われているため活断層が露出しておらず存在は認識されていませんでした。この地震で坂井郡芦原町から金津町、丸岡町、松岡町、福井市に至る25キロの地割れが発生しています。また三河地震の深溝断層の延長線上にある渥美半島でも震度4を記録しました。
震源地に近い丸岡城が倒壊し、昭和9(1934)年には国宝に指定されていながら昭和25(1950)年の文化財保護法では重要文化財に格下げされました。昭和30(1955)年までに建材の70パーセントを使用して再建されたものの「日本最古」と言う謳い文句が虚構であることが判明しているので某県のように地元選出の総理大臣が出ない限り復活は無理でしょう(「女性初」の期待を担った元防衛大臣は力不足でした)。
中でも甚大な損害を受けたのは福井市と坂井郡内で、合わせて15万人だった住民のうち4000人弱が犠牲になっています。これは昭和20(1945)年7月19日の福井空襲で市街地の大半が喪失していたためバラックの仮設住宅が多く、関東大震災の昼食と同様に夕食の支度をしていた炊事の火から火災が発生すると廃材と化した家屋が瞬く間もなく炎上したことが最大の原因とされています。実際、昭和39(1964)年の新潟地震では新潟市が3発目の原爆の投下目標だったため本格的な空襲を受けておらず、豪雪地帯の堅牢な家屋はマグニチュード6.8の激震に耐えています。
福井平野での家屋の倒壊率は60パーセントを超えましたが、福井市内では中心地に在った鉄筋コンクリート7階建てのデパートが全壊し、主要産業だった繊維工場も大半の建物の屋根が落ち、壁が倒れため機械が使用不能になり、火災も発生して3日3晩燃え続けました。さらに九頭竜川の堤防が沈下したため7月23日から25日の集中豪雨によって氾濫した濁流で倒壊した家屋が流される追い討ちをかけられました。
救援活動としては福井県の対策本部が「福井市全滅す。救援乞う」と言うラジオ放送を流したことで関西を中心に巨額の義捐金と膨大な支援物資、多くの救援隊が集り、アメリカ軍も異例の支援に乗り出しました(通常は治安の維持を優先する)。
余談ながら花登筐ドラマの傑作「どてらい奴!」の主人公である山下猛造の妻・茂子(梓英子さんが演じていた)は福井地震で負傷して亡くなっています。このため昭和51(1976)年10月から昭和52(1977)年3月までの総決算編では全24話のうち前半の多くで福井地震と妻の死に関連する物語を描いていました。
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  1. 2019/06/27(木) 11:57:32|
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