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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月30日・国会に靖国神社法案が提出された。

昭和44(1969)年の6月30日に自由民主党からの議員立法として国会に靖国神社法案が提出されました。
野僧はこの法案が成立していればこの国を滅ぼした元凶としての敗戦責任を放棄し、国内の他宗教の信者や海外の政府や遺族からの激しい批判を受けていながら現在も日本版ナチズム=国家神道の再興を目指す神道業界が保守系政治家に愛国心の踏み絵として参拝を強要している靖国神社に汚れとして染みついた宗教色を抜き落とし、国が管理する戦没者慰霊施設として本来の機能を果たすように改革できただけに5度目の提出でも成立させなかった国会の機能不全が残念でなりません。
この法案の趣旨は「靖国神社を国の管理下に移し、国が戦没者の慰霊を行う施設として職員の人事や経費の一部は国費から支出するのと同時に日本国憲法の政教分離原則に違反しないため靖国神社を宗教法人から特別法人に変更して祭儀からは神道臭を除去する」であり、このため「法案に靖国神社の名称を用いているのは創建の由来から踏襲したのであって宗教団体としての現状を継続するものではない」と補足説明しています。
そもそも靖国神社は反乱軍総督であった有栖川宮熾仁親王がまだ函館で戊辰戦争が続いていた明治2(1869)年に毛利藩軍監の村田蔵六さんに反乱軍の戦没者慰霊施設の設置を命じたことで創建された招魂社でした。明治の政変後は兵部省が管理・運営していたのですが明治7(1874)年の佐賀の乱、明治9(1876)年の萩の乱、明治10(1877)年の西南戦争と反乱軍側の諸藩で中央での出世から取り残された不平士族が反乱を起こし、その鎮圧に賊徒として招魂社には加えられなかった旧幕臣や九州諸藩と奥羽越列藩同盟の旧藩士たちが活躍したため官軍と賊徒の区別ができなくなったことで山県有朋さんを首魁とする兵部省が宗教を所掌する内務省に圧力をかけて招魂社を別格官幣社としたのが靖国神社の始まりです。したがってこの法案は原形に戻すもので、新憲法下での改革を目指した訳ではないのです。
国民世論としては全国戦友会連合会や遺族会が賛成の署名を2000万人分集めた一方で神道以外の宗教団体は「復古趣味だ」「結局、靖国を国有化することにつながる」と反対して賛否が分かれました。しかし、まだ戦没者の遺族の大半が存命であり、審議での発言が報道されれば投票行動に大きな影響を与えることは必至だったため与野党ともに及び腰で、毎年提出されても付託された内閣委員会でさえほとんど開かれず審議凍結のまま衆議院の会期終了による審議未了で廃案になっていました。5度目の提出だった昭和49(1974)年には5月25日に衆議院で可決されたものの(野党欠席のため満場一致だった)参議院は放置し、6月3日に会期が終了して審議未了廃案になったのです。
それにしても法案が成立して国が管理することになっても帝国陸海軍と一線を画している自衛隊が管理・運営する訳にはいかず、外国の戦没者慰霊施設に倣うには自衛隊法の改定により新たな任務として非宗教的な戦没者の慰霊を加えるなどの難しい議論が続くことになったのでしょう。
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  1. 2019/06/29(土) 12:03:04|
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