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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

7月6日・近代オカルト研究者(?)・酒井勝軍の命日

昭和15(1940)年の明日7月6日は大本(おおもと)の出口王仁三郎聖師と同様に常人には誇大妄想狂としか思えない宗教者・酒井勝軍(かつとき)さんの命日です。
酒井さんは1874年に現在の山形県上山市で生まれました。酒井姓は幼い頃に養子に出された家のものです。上山市は紫衣事件での沢庵宗彭禅師の流刑地だったことと曹洞宗の坊主の教師・無着成恭さんが出版した「山びこ学校」の舞台として知られています。江戸時代は上山藩の城下で羽州街道の宿場町と温泉街に須川が合流する最上川の水運の要衝として栄えましたが、戊辰戦争で敗れた明治以降は賊徒として懲罰的に冷遇された東北の社会全体が沈下していったのと同様に貧窮に陥っていきました。そんな中で山形英学校に進学しますが、学費が続かず中退しました。それでも明治22(1888)年に英学校の教師だったドイツ系アメリカ人牧師の洗礼を受けてキリスト教徒になり、明治27(1893)年にはその牧師が教授に就任していた東北学院に入学し、苦労しながら何とか卒業すると明治31(1897)年には音楽研究のためにアメリカへ渡り、シカゴ音楽大学と同市の神学校で学んでいます。明治35(1901)年に帰国すると東京唱歌学校を設立し、アメリカ帰りの新進気鋭の牧師として頭角を現していきました。
ところが明治37(1903)年に始まった日露戦争から宗教者としての人生が大きく反れていきます。酒井さんは語学が堪能だったため観戦武官に同行して日露戦争に従軍し、実戦を目の当たりにしたことで、それまでの親米派・民主共和主義・反戦平和主義から離れ、次第にキリスト教徒としての枠からも外れていきました。
さらに大正3(1914)年6月7日に渋谷から見上げた月に現れた超常現象に「日本こそが神の秘蔵国である」と感得したそうです。こうして大正7(1918)年にはシベリア出兵に通訳として従軍し、皇帝派の士官からユダヤ人による世界制覇の陰謀を説いた「シオン賢者の議定書」と反ユダヤ主義を教えられました。大正12(1923)年に帰国すると「シオン賢者の議定書」と反ユダヤ主義に関する著作を相次いで出版しますが、酒井さんの主張はドイツやロシアのユダヤ人弾圧とは別にユダヤ人とフリーメ―ソンの暗躍によって世界が滅亡した後には皇室による新たな統一世界が樹立されることの根拠文書としての位置づけに変化し、最終的には皇室は旧約聖書にある失われた10支族(古代ユダヤには12の支族があり、そのうち血統が判らなくなっている10支族)の1つであるとする親ユダヤに逆転しました。その後は日本神話と古代ユダヤ書や旧約聖書の共通性を検証して日独伊三国同盟を締結して反ユダヤに走っても不思議がなかった日本で「日本人ユダヤ人同祖民族論」を繰り広げ、それが右翼や軍部に「アジアで唯一の文明国になった日本民族は非アジア人であり、選ばれた血統として世界を制覇する使命を有する」として歓迎されたことでユダヤ人迫害を防ぐ意外な功績を上げることになりました。
この「日本人ユダヤ人同祖民族論」の根拠としてユダヤ人のアインシュタイン博士が来日した際、「選ばれた民族」と日本人を賞賛したとの逸話が紹介されることがありますが、これは大震災の時の東北人と同様に自制的で謙虚な態度に好感を持っただけでしょう。
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  1. 2019/07/06(土) 11:35:49|
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