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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1610

「ロミオとジュリエットかァ・・・」森田曹侯補士はあまり優秀ではない高校出身であり、運動部中心の生活を送っていたためシェークスピアの代表作であるこの悲劇を読んだことがなかった。当然、4大悲劇と呼ばれるリア王やオセロー、ハムレット、マクベスは題名も知らない。かと言ってこの手の質問を陸曹や幹部にすると「恥をかかせた」と嫌われる原因になるので困ってしまう。おそらく回答できるのは中隊長の松山3佐と安川3曹の妻の聡美くらいだろう。すると雪うさぎが自分の発言の解説を始めた。やはり一般の聴取者には難しいと思ったらしい。
「本当に素敵な歌ですね。私はこの映画を高校生の時にレンタル・ビデオで借りて見たんですがレナード・ホワイティングの目が素敵でした。それからオリビア・ハッセイの早熟ぶりが羨ましかったな。あの映画に出演した時、オリビアは15歳でしたが同じ年代の私とは比べ物にならないくらい巨大な大人の胸でした。あの映画の中でロミオとジュリエットが一夜だけの結婚生活を過ごして朝を迎えたシーンでは先に目覚めたロミオが旅立つ準備を始めると余韻に浸っているジュリエットが『まだ行かないで』と誘ったんです。多分、初体験ではないですね。ところが抱きあった時にヒバリの鳴き声が聞こえてきてジュリエットは朝だと気づきました。私と彼のデートも時間が『そろそろ名寄に帰りなさい』って告げるから思いを遂げることができないまま見送ってるんです。だからさらまわしさん、私たちと気づいても声をかけないで下さい」珍しく雪うさぎはメールの話題を否定するような回答をした。やはり雪うさぎにとって森田曹侯補士と会っている時間は一瞬も無駄にできないほど切実なのだ。
「次も旭川のラジオ・ネーム、屯田兵さんから私たちのデートに関するメールです」この聴取者はラジオ・ネームから見て自衛官のようだ。旭川駐屯地には第2師団司令部、第52普通科連隊、第26普通科連隊、第2特科連隊、第2後方支援連隊、第2高射特科大隊、第2施設大隊、第2通信大隊、第2飛行隊、第2化学防護隊、第2音楽隊などの所在部隊があり、演習で顔を合わせることも多いが、雪うさぎの告白から名寄駐屯地に指名手配されると「年下の男の子」が特定されている可能性もある。森田曹侯補士は少し身構えてラジオに耳を傾けた。
「自分たち営内者には帰隊遅延と言う服務事故があって結構重い処罰を喰らいます・・・ヘーッ、帰隊遅延ってこの字を書くんだ。自衛隊に帰るのに遅刻して延期するです」これでキタイチエンが機体チェーンではなく帰隊遅延であることは理解できたはずだ。ラジオでは文字や画像は言葉で説明しなければ聴取者に伝わらない。雪うさぎとデートていても目に映る事物や耳に伝わる音声、肌に感じる風まで詩的に表現しているが、それも職業病の一種ではないか。
「自分の彼女も門限破りで怒られるくらいに考えていて『帰るのが早い』『もっと一緒にいたい』って我がままを言って困らせます。雪うさぎさんも気をつけて下さい・・・ふーん、適切な助言を有り難うございました。ここで屯田兵さんのリクエストで矢沢永吉の『時間よ止まれ』をどうぞ」森田曹侯補士はこの歌も父親の趣味で聞き慣れている。陸上自衛隊では宴席のカラオケで先輩の持ち歌に感動した若い世代が唄い継いでいくことが多いので、この営内者(=基本的に独身の3曹以下)の屯田兵も生まれる前の昭和の名曲を愛唱するようになったのかも知れない。そもそも屯田兵と言うラジオ・ネーム自体が古臭い。
「罪な奴さ アー、パシフィック 碧く燃える海、どうやら俺の負けだぜ まぶた閉じよう 夏の日の恋なんて 幻と笑いながら この女(ひと)にかける・・・時間よ止まれ 生命(いのち)のめまいの中で・・・」森田曹侯補士はラジオに合わせて口ずさみながら2番の歌詞の「汗をかいたグラスの冷えたジンに」で隊員クラブに行く予定を思い出した。雪うさぎの番組はまだ半分だ。「時間よ止まれ」が終わったところで営内班を見回すと他の隊員たちは隊員クラブへ行っているようで1人だけ取り残されていた。
「クラブにはジンなんて置いてないよな」森田曹侯補士は携帯ラジオを戦闘服の胸ポケットに入れてベッドから起き上がった。営内者の普段着は下はジャージでも上は階級章が着いている戦闘服か3種夏服だ。森田曹侯補士は部屋の電灯を消して廊下を歩きだした。
「どう言う経緯か判らんが連隊に営内者の外出時間が厳し過ぎると言う批判が殺到しているんだ」週末の部隊長会議で1科長が妙な問題を持ち出した。1科は第3普通科連隊と名寄駐屯地のホームページを運営していて投稿欄の内容も報告することになっている。
「営内者が民間人を装って投稿したんだろう」「飲み屋のママさんが売り上げアップを狙ったんだな」「陸曹は特外(外泊許可)だから犯人は陸士だな」連隊の幹部たちは好き勝手な推理を言い合い始めた。どうやら1名を除き雪うさぎのラジオ番組の聴取者はいないようだ。
「そんな熱愛中の隊員がいるのか」連隊長が苦笑しながら質問すると出席者たちは黙って顔を見合わせた。そんな中で真相を知る松山3佐だけは下を向いてユックリ鼻息を吹いた。
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  1. 2019/07/13(土) 12:45:41|
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