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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1613

5月下旬になって茶山元3佐の自宅に小椋元3佐(定年退官で3佐に昇任した)が出征してきた。4月下旬に退官した後は自宅がある新城市役所作手総合支所の用務員兼公用バスの運転手として再就職したのだが、採用時には「震災ボランティアに行くこと」を条件にしたらしい。結局、地元の県立高校の分校と小中学校の新入生が落ち着いてからになったが本人は満を持して来ているだけに現役時代の泰然自若とした雰囲気以上に気合が入っているように見える。
そんな小椋元3佐の退官式は群長以下の部隊の大半が災害派遣に出動しているため、各中隊10名に満たない留守番の隊員がグランドに整列して体裁を整え、同じく留守番の最先任幹部である2尉が群長の代理として定年退官の辞令を伝達したと言う。本来は退官者へのはなむけに観閲行進が実施されるのだが参加者全員でも1個小隊では格好がつかず「災害派遣に参加して現地で定年を迎えたい」と言う小椋3佐の希望を拒否した部隊の冷淡さだけが際立った。
「静(しずか)、こちらが小椋3佐だ。6群(第6施設群)の312中隊では陸曹として色々と助けてくれたんだ」愛知県から自家用車で宮城県柴田郡の船岡までやってきた小椋元3佐が茶山家の前に車を止めるとエンジン音を聞いて茶山夫妻が玄関から出てきた。小椋元3佐は身長180センチを超える巨漢なので小柄な茶山夫妻は見上げるように対面してから頭を下げた。小椋元3佐は茶山元3佐が定年退官した時点では幹部に任官して春日井の第10施設大隊に移動していたため送別会に参加した以外は関わることができず静とは面識がなかった。
「奥さん、大変な折にご無理をお願いして申し訳ありません」「いいえ、被災者のために頑張って下さい」小椋元3佐は1科長を務め上げただけに言葉遣いは丁寧で物腰が柔らかい。静は厳つい(いかつい)見た目とのギャップに戸惑いながら安心したように微笑んだ。
「小椋くんのことは新山群長以下の幹部には話してあるが、明後日の集合時にあらためて紹介しよう。取りえず家に入って疲れを癒してくれ」玄関前での挨拶が終わると小椋元3佐が車から荷物を下ろすのを手伝いながら茶山元3佐が指示した。宮城県から岩手県の被災地を巡回して熟練した技で災害派遣部隊のこぼれ球を拾っている船岡の施設OB部隊も流石に年齢には勝てず、岩手県宮古市までで疲労回復の休養に入り、久しぶりの出動だ。それでも遠出を避けて宮城県では最も大きな被害を受けた石巻市に行くことにしている。
「頭に気をつけて。ウチは私たちに合わせたサイズで作っていますから」小椋元3佐が両手にカバンを提げて玄関の前に立つと先に入った茶山元3佐の向こうから静が声をかけた。茶山家の玄関は標準サイズで小椋元3佐の方が規格外なのだが、不自由をかけることに対する静流の先回りした詫びなのかも知れない。
「ここは福島原発から何キロくらいなんですか」静の手料理の後、3人で町内にある日帰り温泉に行って戻ると晩酌の席で小椋元3佐が少し顔を強張らせて訊いてきた。昔から少し心配性なところがあるからマスコミが危機感を煽っている問題が気になっているようだ。
「70キロくらいかな。この辺りは常に蔵王山から風が吹き下ろしているから距離ほどの影響はないはずだよ」茶山元3佐は安心させながら小椋元3佐のグイ飲みに酒を注いだ。地震後の巨大津波で電源機材が破損し、冷却装置が機能停止になったことから始まった福島第1原子力発電所の爆発と放射能漏れ事故は缶内閣が錯綜、混乱する経済産業省や原子力委員会と東京電力の報告や説明に振り回された結果、被害を矮小化しようとしているような印象を海外に与えたため、それに不信感を持ったアメリカ政府が逆に過大な避難指示を在日アメリカ人に与えたことでいまだに無責任な風説が蔓延している。
「アメリカはヒロシマと長崎に原爆を落としておきながら自分の国民の被害は大袈裟に心配するんですよね」そこに静が夕食のオカズの残りに手を加えたツマミを運んできた。この意見も反米的な立場での発言を繰り返している言論人がテレビで弄していたものだ。ただし、視聴者の関心から外れているため早い段階で姿を消した。
「逆に言えば広島と長崎で暮らし続けている高齢者がいるんだから新聞やテレビが騒ぐほど心配しなくても大丈夫だと言うことじゃあないか」「私の父も広島の船舶工兵の暁部隊でしたが、終戦時には隠岐の島の守備隊として派遣されていたので被爆はしませんでした」つまり小椋元3佐は紙一重で被爆2世になるのを回避したことになる。
「本当は小椋くんの船舶工兵の父上を渡河演習の時に講師として招聘したかったんだが、和歌山からでは講師料に交通費も重なって中隊に配分されている訓演(予算科目の訓練演習費)を超えてしまうんだ」2人で酒を酌み交わしながら話題は31年さかのぼった。木曽川での渡河演習は昭和55年9月に実施された中部方面隊の指定演習だが、第6施設群も徒歩用架橋とボートによる戦車や大型車両などの渡河を担当し、まさに船舶工兵になったのだ。
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  1. 2019/07/16(火) 11:40:28|
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