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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1614

翌朝、小椋元3佐は早起きの茶山夫妻の生活音で目を覚ました。昨夜の晩酌は2人にしては控えたので酔い潰れた訳ではなく、長距離移動の疲労による熟睡だった。
「今回も緑色の作業服に半長靴よね。下着と靴下の替えは演習と一緒で良いでしょう」どうやら奥さんの静が茶山元3佐が用意した荷物に入れる衣類を渡しているようだ。小椋元3佐も出発前に階級章を剥がしたOD色の作業服で揃えていることを聞いていたので押し入れの奥から探し出して持ってきたのだが、試着していなかった。
現在の迷彩服2型が採用されたのは1992年からで貸与と同時にOD色の作業服は廃止された(実際は全員にいきわたるまでは部隊の統一性を維持するため継続使用された)。あれから20年近く経つので30歳代半ばから50歳代では体型も少なからず変わっている。体重は特に増えていないが鏡で見る顔は丸くなってきている気がしていた。
小椋元3佐は布団から起き抜けると枕元に置いた演習バッグから作業服を取り出して着替え始めた。するとズボンの腰は余裕だったが腿が僅かにきつくなっているようだ。幹部に任官して第10施設大隊から施設学校に転属し、第6施設群に帰って1科長になってからは少し運動不足だったのは間違いない。そんな贅肉も今回の施設基礎作業で削ぎ落ちて引締った筋肉に戻るはずだ。茶山元3佐の話では船岡の施設OB部隊では年齢や階級に関係なく全員が気分だけは新隊員に返って可能な肉体労働に汗を流しているらしい。定年直後の小椋元3佐は今回の参加者の中では最年少になるので「小椋2士」になったつもりで頑張るしかない。それは定年退官して社会人1年生になった小椋元3佐にとってまたとない意識改革の場にもなる。
朝食を終え、静が運転する車で集合場所である船岡駐屯地の正門前に行くとOD色の作業服を着た老兵たちが立ち話していた。階級章は付けていないが作業帽の帽章で幹部と陸曹は識別できる。幹部は金色糸の刺繍、陸曹は桜の輪郭線の刺繍なのだ。
「こちらは豊川の第6施設群1科長で定年を迎えた小椋3佐です。今回の震災発生時は付(づき)だったので災害派遣に参加できず、退官後に自主派遣を発令してきました」茶山元3佐はその中で際立って風格がある老齢の人物に小椋元3佐を紹介した。小椋元3佐は無意識に不動の姿勢を取り、踵が「カツン」と鳴った。
「小椋くん、こちらは新山群長だよ」「第101建設大隊の小椋くんかね。貴官の志と実践には心から敬意を表するよ」茶山元3佐が「新山群長」と紹介した人物は温和な笑顔を見せると高い階級を感じさせる口調で労をねぎらった。第101建設大隊とは昭和26年に警察予備隊の工兵部隊として金沢駐屯地に設立された第504建設大隊が陸上自衛隊になった昭和29年に改称された部隊で、その年の9月に豊川へ移駐して昭和48年に第6施設群に改編された。つまり豊川駐屯地には約20年間は第101建設大隊の看板が掲げられていたのだ。補足すれば昭和35年から41年までは立川駐屯地にも第101建設大隊が存在し、国労の反自衛隊闘争による鉄道輸送の遮断や駅施設・鉄道設備の破壊に対抗して独自に蒸気機関車を運行し、復旧・建設する任務を与えられていた。
「閣下、体調は如何ですか。今回も3名が不参加のようです」ここで副官の役柄を果たしているらしい初老の人物が割って入った。小椋元3佐は元1科長として同業者の臭いを感じた。
「やはり持病を抱えている人は身体を酷使させてはいけないようだな。疲労なら休養で復調できるが持病が悪化すると医者の治療が必要になる。多分、無理をさせるような活動は許可しないだろう」「その点、閣下はお元気ですね」新山元群長の顔が曇ったのを見て幹部の作業帽をかぶった同年輩の人物が声をかけた。
「現役時代から楽をさせてもらってきたから消耗していないんだな」新山元群長が自嘲気味に笑うと周囲の元幹部たちが「ご謙遜を」と言いながら同調した。
「定年退官したOBの集まりだから新山群長以外の幹部は定年3佐と元准尉、陸曹は元曹長ばかりだよ」参加者の集合が完了して幹部と陸曹の作業帽に分かれての雑談が始まると聞き役に回っている小椋元3佐に茶山元3佐が小声で説明した。これで序列について心配はなくなった。幹部としては同格なので年齢にだけ気をつけて話せば良いようだ。
「今回の石巻市は岩手県のリアス式海岸ほどではないですが市街地が広い分、復旧にも手が回らないようです」4WDのワゴン車に分乗して出発すると小椋元3佐と茶山元3佐が乗った車の運転手の元准尉が解説した。小椋元3佐も自宅のテレビで石巻市の被害は見ているが、戦時中の空襲で一面の焼け野原になったような市街地のカラーの鮮明な風景には恐怖すら覚えた。小椋元3佐は昭和56年の北陸豪雪や1995年の阪神淡路大震災などの災害派遣に参加しているが被害の規模が違う。小椋元3佐は座席で拳を握りながら外の風景に見入った。
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  1. 2019/07/17(水) 11:46:32|
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