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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1615

船岡施設OB部隊12名と特別参加の小椋元3佐を乗せた4WDのワゴン車2台は石巻市を担当している第44普通科連隊の指揮所を訪ねた。石巻市への支援活動は2回目になるので出迎えた主要幹部も親しげだ。勿論、船岡駐屯地を通じて事前連絡は入れてある。
「これは閣下、お初にお目にかかります。連隊長の堀脇です」指揮所内で待っていた連隊長の堀脇1佐は新山元将補に十度の敬礼をした。現在の連隊長クラスはアメリカ留学やPKOなどで外国軍と一緒に勤務した経験を有する者が多いので手を差し出して握手を求めるのが一般的だが、帝国陸軍出身者の薫陶を受けた世代は外国流を嫌うことが多いので控えたようだ。
「44普連の長期にわたる派遣のご苦労には敬意を表し、感謝を申し上げます。私も前回は疲労回復が間に合わずに不参加になりましたが、今回は老骨に鞭打って作業員の末席に加えてもらいました」防衛大学校の先輩には珍しい新山元将補の謙虚で丁寧な態度に堀脇1佐は困惑した表情を見せたが、60年や70年安保の反自衛隊闘争への対応を経験している苦労人たちの中にはこのような紳士も存在する。施設幹部の新山元将補は部外工事などで自治労の巣窟だった地方自治体や大流行していた「反戦平和」に同調した地元住民との調整に当たってきただけに演習場と駐屯地で帝国陸軍風の豪傑を演じていた裸の王様たちとは意識が違うのだ。
「前回、船岡の皆さんには海岸線に打ち上げられている倒壊家屋や転覆船の捜索を担当していただきましたが、当連隊は北上川の津波の逆流による被災地の復旧を実施していますので、今回は北上川の河口付近をお願いしたいと考えています」新山元将補と連隊長の対面の挨拶が途切れたところで3科長が指揮所内に掲示している石巻市の地図を指で差しながら説明を始めた。宮城県の石巻市には早い段階から大型建設機材と豊富な経験を持つ建設会社が投入されており、陸上自衛隊でも人海戦術を専らにする普通科連隊は市街地から郊外の山間地や沿海部に活動場所を移しているようだ。
「やはり民間人に遺骸を見せる訳にはいかないんですね。トラウマって奴になってしまうから」「最近はピーチ―エスデーって言うらしいよ」連隊と船岡施設OB部隊の主要幹部たちの業務調整から一歩引いた位置で小椋元3佐が話しかけると茶山元3佐が妙な説明をした。テレビでは福島原発の放射能被害の報道が過剰であるとの批判を受けて一般の被災者の健康被害と予防策の解説にも話題を広げている。船岡でも電力の復旧が遅れていて、今も思うようにテレビを視聴できないから茶山元3佐は公共施設で見たのかも知れない。
「それを言うならピーティーエスディー(PTSD=心的外傷害後ストレス障害症候群)ですよ」「そうかね。私もそう言ったつもりだが」「これは失礼しました」この会話は312中隊の中隊長と陸曹の時と変わらない。茶山元3佐は殊更に命令口調を使う幹部が多い中で東北訛りの朴訥な話し振りで、陸上自衛隊の常識を通してしか人物を見ない古参陸曹とその門下生からは「お上りさん=田舎者」「お人好し=頼りない」などと陰口を叩かれていたが大多数の隊員からは圧倒的な人気と信頼を獲得していた。
「これが津波の被害ですか」自衛隊によって復旧した道路を通って海岸線に到着すると小椋元3佐は言葉を失った。北上川の河口付近は小高い山が海岸線にまで迫っており、川岸を堤防で区切ったような狭い平地しかない。その短い海岸にも北上川を逆流した津波が引き戻す時に流してきた倒壊家屋や押し上げた廃船と養殖の筏(いかだ)などが山積みになっている。
「これでも岩手県のリアス海岸に比べれば少ないものだよ」「うん、まだ地面が見えているからな」小椋元3佐が絶句するとワゴン車に同乗している船岡の元3佐たちが少し皮肉な口調で返事をした。船岡施設OB部隊は「民間人には遺骸を見せない」と言う行政指導を受けていても災害派遣部隊や消防、地方自治体は市街地での救援と復旧作業に手一杯なため「こぼれ球拾い」として海岸線の遺骸捜索に当たってきた。そんな中、岩手県の断崖絶壁に挟まれて先細りになっているリアス式海岸では津波は想像を絶する高さまで上昇し、破壊力は巨大になっていた。そのため海岸線には防波堤で止められた倒壊家屋が山積みになり、小型の漁船だけでなく巨大な観光連絡船まで打ち上げられていた。
「小椋くんの地元の和歌山も津波の被害に遭ったことがあったんじゃあないか」ここで助け船のつもりなのか茶山元3佐が声をかけてきた。
「はい、和歌山も江戸時代の宝永や安政の大地震、昭和の三河地震と南西地震で津波に遭っていますが、海岸線が岩手県とは違いますからここまで大きな被害は受けていません。むしろリアス式海岸の三重県の鳥羽の方が酷かったそうですよ」和歌山県でも小椋元3佐の出身地である新宮市は昭和21年12月21日に発生した南海地震では大きな被害を受けたが、津波は串本で6メートル57センチを記録したとは言えその大半は火災によるものだった。
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  1. 2019/07/18(木) 13:04:26|
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