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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1627

「うーん、美味かった。久しぶりに好物を思いっ切り食べたよ。満腹満腹」4時近くになって昼食を終えると森田曹侯補士は満足そうにお茶を飲み干した。この湯呑や茶碗と汁椀、箸は食材のついでにスーパーで買ってきた安物だ。本当は照子も揃いの食器を買って来たかったのだが、ペア茶碗と言う年齢でもないので諦めた。
「海老フリャーじゃあなかった。フライド海老が本当に好きなんだね」ここでフライド・シュリンプと言わないところが照子=雪うさぎのDJとしての味わいだ。正確な英語を思い浮かべていた聴取者は少し肩透かしに合ったような意外性に噴き出してしまう。
「うん、浜松か八雲の小学生だった頃に食べて大好物になって、誕生日には海老フライの食べ放題だったよ。ところが沖縄では本土からの冷凍の輸入物だから身がプリプリしてなくて美味くなかったんだ」その禁断症状が出ていたところに海老フリャーの本場に引っ越したのだから食べまくるのは当然だろう。
「あれッ、この絵は屯田兵じゃあないか」照子が洗い上げのため食器を流しに運び始めるとそれを目で追った森田曹侯補士は壁に掛けてある大き目の絵に気がついた。その絵は黒い軍服姿の兵隊たちが鍬を持って畑仕事をしている情景が描かれており、畑の向こうの道路には馬車が通り掛かっている。新隊員後期課程の時に行った旭川駐屯地の北鎮記念館でこの複製画を見た覚えがあった。北鎮記念館は旭川駐屯地の敷地内だが正門を通らずに入館できる。屯田兵や日露戦争時に編制された第7師団と自衛隊の資料が多数展示されているが、昭和37年に日露戦争で拾得したロシア軍のコッサク騎兵の軍刀の寄贈を受けた当時の第2師団長が敗戦後、急速に忘れ去られていく屯田兵や第7師団の資料の散逸を防ぐため駐屯地内に設置したのが始まりと説明を受けた。この絵も複製画なのは言うまでもないが単なるコピーではなさそうだ。
「これは北海道巡幸屯田兵御覧の図って言うの。舞台の山鼻は2番目に開設された兵村で札幌の近くにあったのよ」洗い上げを中断して戻ってきた照子は思いがけない説明をした。森田曹侯補士は立ち上がると絵の前に立ち、新聞紙半分大の鮮明な場面に見入った。
「向こうの馬車には明治天皇が乗っていて屯田兵の仕事ぶりを視察したのよ。前期の屯田兵は奥羽越列藩同盟の士族出身者が多かったから天皇の視察を受けることは賊徒の汚名が晴れる名誉だって本当に感激したみたい」以前から雪うさぎの番組では屯田兵の話題が出ることがあり、その内容が非常に詳しいことが不思議だったが、ここまでとは思わなかった。
「何だか凄く屯田兵に詳しいね。自衛隊でもそこまで研究している人はあまりいないよ」「だって私のご先祖さまも屯田兵だもん」これもまた驚愕の事実だ。屯田兵制度は幕末に蝦夷地独立を目指していた榎本武揚が発案したものだが明治新政府がそれを引き継ぎ、徴兵による正規軍の設置が不可能な北海道の防衛と開拓の一人二役を期待するのと同時に禄を失って窮乏する旧松前藩士や奥羽越列藩同盟の士族に生活の糧を与えることを目的にしていた。その後、西南戦争に参戦して武功を上げ、戦力として期待できることが証明されたため大幅に充実・拡大され、未開拓の北海道の東部や北部に配置された。
「ご先祖さまは南部岩手の貧農の3男で長男に子供が沢山生まれたから家を追い出されて屯田兵を志願したそうよ。屯田兵には畳部屋2間と囲炉裏がある板の間、後は台所を兼ねた土間とトイレがついた一戸建て(兵屋=へいおく)と未開拓の土地がもらえたの。200軒の集落(兵村=へいそん)を中隊にしてたんだって」照子の説明に森田曹侯補士はノートを取りたくなった。中隊では中隊長の松山3佐以外は幹部も敵わない軍事知識を持っている安川3曹も屯田兵は専門外のはずだ。明日の昼休みにでも吹きかけて見たくなった。
「それじゃあ任用期間は長かったんだな。2年や4年じゃあ開拓しても作物ができる畑にはならないだろう。それを考えれば屯田兵じゃあなくて屯畑兵(とんはたへい=畑には音読みがない)だな」森田曹侯補士の話が妙に反れて、照子も呆気にとられた後、納得したようにうなずいた。ただし、北海道で稲作を始めたのも本州から入植した屯田兵たちである。
「お祖父さんから聞いた話だと普通の徴兵の兵役が2年だったのに屯田兵は現役が3年、予備が4年で後備が13年のトータル20年間で40歳まで勤めることができたんだって」森田曹侯補士が自衛隊用語の任用期間を使ったのに対して照子は正しく兵役と言った。これも軍隊用語の知識としてノートに取るべきだ。
「それで旭川に定住したんだね」「うん、日露戦争の時点で屯田兵が廃止になっても曽々(ひいひい)祖父さんは第7師団として満州へ出征していたから残った家族が畑を守ったのよ」ここで話に区切りがついて照子は台所に戻って洗い上げを再開した。残った森田曹侯補士の胸の中では描かれている屯田兵たちがアニメのように働き始め、音声まで響いてきた。
山鼻屯田兵開拓の図北海道巡幸屯田兵御覧の図・部分(聖徳記念絵画館所蔵)
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  1. 2019/07/30(火) 11:45:50|
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