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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1637

その日、台北地方裁判所の小法廷では美恵子の執行猶予満了の確認公判が開かれていた。沖縄の八重山よりも南に位置する台湾では盛夏になっており、まばらな傍聴人は半袖の開襟シャツかブラウスの夏服だ。その中に自衛隊で言う第3種夏服姿の王茂雄中校の姿もあった。
「これより玉城美恵子(ユーチョン・メイファイスー)受刑囚の緩刑(=執行猶予)満了に伴う確認公判を開きます」暑苦しい法服を着た裁判官はエアコンの風が当たる判事席に座るとガベル(机上の台を打つ木槌)を2度打ちならして開廷を宣言した。日本の裁判所ではガベルを採用していないが、法廷ドラマや映画などでは雰囲気を出すために使用していることがあり、弁護人席の隣りに座っている玉城美恵子も緊張した顔で息を止めた。
「玉城美恵子受刑囚、前へ」裁判官に仕草で促されて玉城美恵子は立ち上がると正面の台にユックリとした歩調で進んだ。3年前の公判中は不貞腐れたような態度が不快感を与え、法廷には似つかわしくない一張羅の旅行着で通していたが、今回は夏向きのワンピース姿で髪型も清楚に整え、薄化粧もしている。おそらく冷房目当てで集っている高齢の傍聴人たちでも男性は惚れたような視線で姿を追った。やはり美恵子はチュラカーギ(美人)なのかも知れない。
「通訳、準備は良いかね」「はい、どうぞ」先ず裁判官は裁判では被告人が立つ正面の台の横に設けた席に座っている通訳に声をかけた。通訳は椅子を裁判官と美恵子の中間の角度に向けた。
「それでは受刑囚の人定質問を始めます。玉城美恵子受刑囚」執行猶予中の行動を確認し、実刑に代わる贖罪と反省を続けてきたかを判定する公判でも基本的な手順は変わらない。美恵子は通訳に説明されて少し困惑した顔で姿勢を正した。
「氏名から申告しなさい。当法廷の速記では受刑囚の日本語を通訳による国語(=台湾語)で記録することとする」全てが手順通りで美恵子には3年前の悪夢が甦るだけだったが、それを態度に見せる幼稚な人間性は執行猶予中の経験が成長させていた。
「ユーチョン・メイファイスー」すると美恵子は台湾語で申告した。拘置所内でも台湾語で呼ばれていたので耳から憶えたようだ。これは美恵子なりの悪戯なのか、皮肉なのかは判らないが、そこまで頭が働くはずがないので単に日頃の習慣だろう。通訳は裁判官と顔を見合わせた後、もう一度、台湾語で言い直した。
「続いて住所を」「裁判長」ここで宮寛君弁護士が手を上げた。人定質問で異議を申し立てることは珍しいので速記者は驚いたように顔を上けた。
「玉城美恵子受刑囚の日本での住所は借家の所有者との貸借契約が解消されたため両親の住所に変更になっています。本人に説明はしてありますが、同意がないままの処置なので納得はしていません。裁判所には文書で訂正してありますが、本人の申告についてはこの特殊事情を御承知おき下さい」これも執行猶予中の反省の度合いに疑問を持たれる可能性はあるが、期間を満了しているので取り消されるほどの問題ではない。宮弁護士としては混乱を避けることを優先したようだ。検察官も表情を変えずに手元の書類の訂正してある住所欄を見ていた。
「日本国沖縄県南城市××123の4です」美恵子は素直に実家の住所を申告した。やはり帰国すれば実家に身を寄せることになる以上、意地を張って実際は貸借契約が切れていた前住所を主張するような愚かさは捨てているようだ。
「玉城受刑囚は業務を遂行する上で必須の国語を理解する努力を放棄し、事実上の怠業状態で3年間を過ごしました」公判が始まると検察側は拘置所でも管理職の評価を説明した。しかし、執行猶予中の犯罪や不祥事があれば執行猶予が取り消され、実刑に移行する可能性があるが、態度不良程度では単なる嫌味にしかならない。要するに実刑を求めた検察側としては執行猶予を付けた裁判官の判断に疑問を呈するつもりなのだろう。
「玉城受刑囚は国語が理解できなくても命じられた仕事に最善を尽くしていました。中でも理容師としての経験を活かして拘束されている被告人たちの生活を清潔に保つように努力していました。裁判官も台北拘置所から出廷する被告人たちの身嗜みが向上したことを実感しておられるのではないでしょうか」続く宮弁護士は現場で接している職員たちの証言を説明した。この問いかけに裁判官は無意識にうなずき、検察官は渋い顔をした。
「ここで1つ、台北拘置所の職員から聴き取った証言を紹介します。刑の執行前に玉城受刑囚に死刑囚を整髪させると終わった後に鏡を見て微笑むのだそうです」この説明に傍聴人たちは感嘆の声を上げ、裁判官と検察官も黙って美恵子の顔を見た。
「それでは当法廷は日本国南城市××123番地4に居住する玉城美恵子受刑囚の緩刑の満了を認め、判決にあった通姦罪徒刑10カ月と過失致死罪徒刑2カ月の徒刑(懲役)を解消することを決定します」裁判官の判決の通訳を聞いて美恵子は台の横に出て深く頭を下げた。
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  1. 2019/08/09(金) 12:50:40|
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