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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

第5回月刊「宗教」講座・上

今まで佛教、神道、キリスト教の話が続きましたので、第5回月刊「宗教」講座はイスラム教から始めます。
第3回でも少し触れましたがイスラム教とキリスト教の宗教的な構造の違いには日本の浄土宗と浄土真宗に通じるところがあります。
キリスト教には父なる主とカミの子なるカミ=イエス・キリスト、そして聖霊の3者を崇敬する「三位一体」と言う教義がありますが、イスラム教ではアッラーのみが唯一絶対のカミであり、ムハンマド(マホメット)でさえ人間である預言者の域を出でずシン格化はされていません。
一方、浄土宗では阿弥陀如来を主としているものの三尊とされる観世音菩薩と勢至菩薩、さらに地蔵菩薩なども併せて崇敬していますが、浄土真宗では阿弥陀如来のみを唯一絶対の救済者として釋迦牟尼佛への帰依でさえ否定する宗教家もあります。
また、キリスト教ではカミが正義の絶対的規範であって、その意思を実現することが人間の負った義務としていますが、イスラム教ではアッラーは悪を含む万物を創造し、森羅万象、天地一切を支配する存在としています。
ですからキリスト教では、カミの正義を人間がどのように実現するか自己判断する対立した関係が成立しますが、イスラム教に於いては例え悪事であってもアッラーの意思として甘受するのです。「慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において・・・」
これも浄土宗では「救っていただけ易いように」と身を正し、念佛に励むのに対して、浄土真宗では「良いも悪いも弥陀の本願のままに」「精進、持戒などは自力の要らぬ分別」と「自然法爾」の救いを説いていることに通じるかも知れません。
結局、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同一のカミを信じていながら、モーセを守るか、イエスを信じるか、ムハンマドに従うかでこれほど解釈が変ってしまったのですが、コーランにはこんな一節があります。
「あれ(=聖母マリア)とあれの息子(=イエス・キリスト)とを全人類の神潮と為した。『まこと汝らのこの宗団こそは統一ある一つの宗団であり、我れが汝らの主、さあ、みな我れを崇めよ』と。だが彼らは互いに仲間割れしてバラバラになってしまった。しかし、いずれは誰も彼もみな我が許へ戻ってくる身、信者になって義(ただ)しい行いに精出す者は、努力しただけの分は決して付落しされる心配はない。我は一々記録しておる。(21章「預言者」91節~94節)」
ところで三月と言えば春彼岸ですが、彼岸の中日である春分・秋分の日は日中と日没の時間が同じなので日中を生、日没を死ととらえて、これが重なることで生死の距離が近づく候としているようです。
ただ、彼岸会は日本独特の行事のようで、中国の先祖供養は四月上旬の清明祭に行われています。これは佛教とは関係なく二十四節気の春分と穀雨の間にある節の一つです(ただし太陰暦)。
清明祭は沖縄でもシーミー祭と呼んで先祖供養を行い、モンチュウ(親族)一同で墓参りをし、モンチュウの繁栄と団結を示すため墓前で大宴会を繰り広げます。
この日に宴会をしている墓の前を通りがかると「繁栄を見せるため」「功徳を積むため」と言って酒を振る舞われ、上手くすれば御馳走にもありつけます。
沖縄の亀甲墓は中国の長江辺りの墓が原型ですが、亀の甲のような丸い部分は妊婦の腹部、塀が両脚を表して「母体から生まれ母体へ還ること」を意味するそうです。
本土の佛教も葬式佛教と言われ祖先供養の法要を専らにしているものの、祖先の霊の向うには佛祖と言う絶対的な存在があり、読経は佛祖が説いた教えを尊び学ぶことでありますから、その点が沖縄の祖先供養とは異なります。
沖縄の信仰ではあくまでも祖先への崇敬の念だけであり、沖縄民謡「てんさぐの花」に唄われているように長老、家長(=親)の垂れる言葉を素直に守り、実践することが子孫の義務、美徳とされているようです。
しかし、迷い多き人間に過ぎない長老の言葉には誤りや偏りもあり、それに盲従することはある種の危険があることも否めず、釋尊の悟りを二千五百年余の歳月をかけて磨き上げられてきた佛教への信仰とは自ずから異なります。
また、沖縄の人(シマンチュウ)は昔からモンチュウの相互扶助に馴れてしまっているため、依頼心が強く、金がある者が困っている者を助けることを当り前にして、遠慮や相手の事情を考えずにたかるようなことが日常的に行われているようです。
野僧のシマンチュウの友人は、同じくシマンチュウの奥さんとの間に五人の子供を抱えていましたが、友人が自衛隊に入隊してからは親が息子の収入を当てにして事業を起こしては失敗することを繰り返し、本土へ帰って以来、ボーナス時には官舎まで金をせびりに来ていました。
堪りかねた友人は本土の部隊への転属を熱望したのですが、直属上司が「子沢山なのだから地元にいた方がいいだろう」との温情から転属を握りつぶし、そのことを聞いて自死してしまいました。自死する直前に会った時、「やっと転属できそうだ」と嬉しそうに言っていた顔が忘れられません。
かつて安室奈美恵と言う人気歌手の母親が、金をせびりに来たモンチュウの男に殺された事件もありましたが、これなどはモンチュウの間違った面の具体例でしょう。
結局、沖縄の人々の閉鎖的でその場凌ぎに終始し、受け身で努力をしない安易で消極的な気性は、信仰と言う高い理想とそれを実現するために精進努力することを学ぶ機会がないまま現状を肯定し、万事を素直に受け容れるようになってしまった歴史的経緯、精神風土があるのでしょう。
同じように長老を中心として一族が固く集う山形県の三世代家族では、長老はより高い視点と広い視野を得るべく、一族で最も多く学び働くことを責任としております。
野僧の一族の長老も、長男として生まれたことで幼い頃から家業に熟練するよう手伝うと共に寺小屋などで学ぶことを義務付けられていたそうです。

 沖縄民謡「てんさぐの花」
てぃんさぐぬ花や 爪先に染みてぃ   てんさぐの花は 爪先を染めて遊ぶ
親ぬゆし言や 肝に染みり      親の言う言葉は 肝に染めなさい

宝玉やてぃん 磨かにば錆す     宝玉は 磨かなければ錆びてしまう
朝夕肝磨き 浮世わたら        朝夕に肝を磨き 浮世をわたろう

夜走らす船や 子ぬ方星見当てぃ  夜に船を走らせると 子の方を星が見ている
我ん生ちぇる親や 我んどぅ見当てぃ  私を生んでくれた親は 私を見ている

誠する故どぅ あとぅやいちまいでぃん 誠を尽くすならば 最後までやりなさい
思事んかなてぃ 千代ぬ栄い   思う事がかなって 千代の栄になるのだから

なしば何事ん ないる事やしが    なせば何事も ならぬ事があるものか
なさぬ故からどぅ ならぬさらみ    なさぬ故に ならぬのだ

これは宗教の話題ではありませんが、野僧は茶坊主ですので、お茶の行事から・・・2月28日は千宗易(利休居士)の命日、茶道で言う利休忌です。
利休と言う名は秀吉の命で宮中茶会を行った時、町人である宗易では宮中・内裏に立ち入ることが許されないので出家者と言うことにするため受けた名です。
宗易は秀吉の怒りをかい自刃を命ぜられたのですが、その理由としては石田三成などの側近との権力争い、博多と堺商人の勢力交代などを背景として、「不当な茶器の価値判定により暴利を貪った」「秀吉の好みを否定して侮辱した」、何よりも「天皇や秀吉もくぐる大徳寺山門に自分の像を置き足下にした」ことなどを罪とされました。
ただし、この像は宗易が大徳寺の伽藍復興に多額の寄進をしたことに感謝して、寺が製作して祀った物ですから冤罪としてもかなり無理があります。
当然、この像も撤去されましたが宗易の首を踏みつける形で晒されたそうです。
宗易の最期は、形見の茶杓を削り、「ひっさぐる 我が得具足の 一つ太刀 今此の時ぞ 天に抛つ」の辞世を読み、茶室で検死役に一席もてなした後、そのままそこで腹を切ったのですが、戦国武士が見てもたじろぐほどの死に様だったようです。
ただ、茶室は天井が低いために刀を振り上げることができす、首は打てなかったとも言われています。当に辞世の通りに武士の最期を演じ切ったのでしょう。
この形見の茶杓は古田織部が譲り受け、自ら筒を作り「泪」の銘をつけましたが、現在は尾張・徳川家の宝物を展示している名古屋の徳川美術館に所蔵されています。宗教の話がオドロオドロシイ話になってしまいました。アシカラズ。

実は3月は意外に宗教行事や宗教者の命日がなく話題に困ってしまうのです。
以前やっていた法話の会でも「道元は梅が好きだった。何故なら梅は咲いた花が必ず実を結ぶからだ」などと言うネタくらいしか見当たりませんでした。
                                        南無文殊師利菩薩

豊臣秀吉作(どの面さげて詠んだのやら?)
そこひなき 心のおくを 汲みてこそ お茶の湯なりとは 知られたりけれ
茶杓「泪」利休遺作「泪」の茶杓
  1. 2013/03/01(金) 09:43:27|
  2. 月刊「宗教」講座
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