FC2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1642

「これで事情聴取を終わります。法務省入国管理局としての決定が届くまでは原則として身元引受人の家で過ごすようにして下さい」男性職員は定型通りに美恵子に対する事情聴取を終えると筆記していた供述内容を読み上げた上で署名させた。日本での公文書は署名・捺印するのが一般的だが、外国人を対象とすることが多い入国管理局では「サイン」にしているようだ。
この男性職員は沖縄に赴任して間がないようで美恵子が台湾で告発を受けた周志竜の腹下死(美恵子が騎乗位になっていた)の事件を知らず、裁判に関する説明では軽く好奇心を示したもののそれ以外は極めて事務的に処理していた。
「それでは身元引受人に入室してもらいます。お待たせしました」男性職員が立ち上がってドアを開けると、外で女性の「どうぞ」と言う声が聞こえ、慌ただしい足音が響いてきた。両親は廊下で説明を受けていたようだ。
「美恵子ねェ」始めに母が入ってきた。台湾に出発する前から帰宅すことはなく長年会っていなかったとは言え母は随分老いたようだ。姉たちに似てチュラカーギ(美人)だった顔には深いしわが刻まれ、明るい太陽のようだった表情にも暗い雲がかかっている。
「美恵子、お前は」次は父だ。父は荒々しく部屋に入ると拳を振り上げたが、立ちすくんでいる母に遮られてそのまま力なく下に垂らした。
「お父さん、お母さん、ごめんなさい」美恵子は席で立ち上がると机に額がつくほど深く頭を下げた。入り口に並んで注視していた両親は初めて見る美恵子の謝罪に顔を見合わせた後、ゆっくり深くうなずいた。そんな家族の再会シーンを視聴していた男性職員が声をかけた。
「この場で被審査人である玉城美恵子を引き渡します。正式に法務省入国管理局から入国許可の通知が届くまでの身元保全は引受人の責任となります。その点を十分に理解した上で健全な日常生活を送らせるように助言しておきます」男性職員が定型句を述べてドアから出ていくと部屋の隅に座っていた王中校が立ち上がり、両親は驚いたように顔を向けた。
「こちらはモリヤさんの同僚の方ねェ」「今回は本当にお世話になりました。モリヤさんに航空券代を出していただいておかげで那覇空港に迎えに来ることができました」両親は完全に誤解している。王中校が着ている中華民国陸軍の夏の軍服の上衣は薄い緑色と濃い緑なので黄ばんだワイシャツのような陸上自衛隊よりも洗練されているのだが、沖縄の住人である両親には判らなかった。
「いいえ、私は中華民国陸軍法務官の王中佐です。陸上幕僚監部法務官室のモリヤ2佐とは旧知の仲ですが、今回は個人的に玉城美恵子さんを支援したいと思い一緒に来日したんです」王中校は両親に判るように自己紹介したが、登場人物と経緯が多彩過ぎて理解できなかった。そもそも民間人は「ホームカン」と言われても住宅展示場の「ホーム館」にしか聞こえない。
「取り敢えず、お食事でも」「そうですね。玉城美恵子さんの仕事ぶりをお話したいので御一緒しましょう」3人は次の行動を決めたが、美恵子は航空券代の出処を知り憮然としていた。
結局、王中校は軍服を着ているため入られる店が限られ、沖縄滞在中に宿泊する那覇市内のホテルの日本料理店での夕食になった。明日にはモリヤ2佐がこのホテルへ訪ねて来るのだが王中校は美恵子の態度を見てあえて触れなかった。
「美恵子は前の店に大金を要求した評判が消えていないから沖縄で就職するのは難しいんです」料理店では王中校が美恵子の台北拘置所での仕事ぶりを紹介し、その卓越した技量を絶賛したが両親はかえって顔を曇らせると現状を説明した。実際、父は帰国予定の連絡が入ってからは行きつけの理容店に再就職の相談を持ち掛けたのだが返事は厳しいものだった。
「自分で蒔いた種とは言え、散髪の業界で腕前よりも雇い主への態度が問題になると言うのは意外でした」実際は美恵子が謝罪していれば店主や業界関係者もここまで厳しい態度をとらなかったはずだが、それをしないまま台湾で刑事被告人になり、有罪判決を受けたことが現状を招いたのだ。父の説明に合わせて母が王中校のグラスにビールを注いだ。今夜は自家用タクシーを運転しなければならない父に代わって元カッチンのママである母が相手をしている。
「それならば玉城美恵子さんに我が国の言語を習得していただいて、台北市内で理髪店を始めてもらいたいと思います。それほど玉城美恵子さんの技量に対する評価は高いのです」この言葉にそれまで黙々と久しぶりの日本料理を味わっていた美恵子が顔を向けた。
「台湾の言葉を覚えるのってどうすれば良いんですか」「台湾語教室は那覇市内に幾つもあるが、私としては那覇の台北事務所で拘置所と同様の仕事をやりながら職員から学ぶのが早道だと考えているよ」両親はようやく帰国した娘が台湾に戻ることを希望したのに愕然としながら2人の顔を見回した。すると美恵子の目には熱意の赤い炎が点っていた。
スポンサーサイト



  1. 2019/08/14(水) 11:53:15|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<8月15日・福江島付近で緊急発進機が墜落した。 | ホーム | 振り向けばイエスタディ1641>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/5563-2acb7443
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)