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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

8月16日・源氏の血統?源義賢が甥の源義平に討たれた。

久寿2(1155)年の明日8月16日(太陰暦)に源義賢さんが異母兄の義朝さんの命を受けた甥の義平さんに討たれ、父である為義さんから授かっていた河内源氏の嫡流を示す銘刀・友切(ともぎり)を奪われました。
2012年に放送された大河ドラマ「平清盛」は珍しく時代考証が綿密で、登場人物の人間像もリアリティに富み、中でも源氏一族は前回の同時代を描いた昭和47(1972)年の「新平家物語」とは全くイメージが変わっていました。
「新平家物語」では木村功さんが傷つきやすい生真面目な人物として演じていた源義朝さんは玉木宏さんが武勇に優れた野心家に、左翼作家でもあった佐々木孝丸さんが74歳で演じた源為義さんは小日向文世さんが損な役回りばかり演じているお人好しに、そして「新平家物語」では時々顔を出すだけだった源義平さんも波岡一喜さんが強烈な個性を放っていました。そんな中で源義賢さんは永岡佑さんが演じて父親(=小日向さんの為義)似の優柔不断なお人好しのまま弓で射殺されてしまいました。
史実での義賢さんは妾腹でありながら兄・義朝さんが無位無冠のまま手勢を獲得しようと関東に赴いている間に皇太子を警護する東宮帯刀先生(とうぐうたちはきのせんじょう)に任命され、このことも父・為義さんが嫡男を代えようとした理由だったようです。実際、義賢さんは弓術の達人で、先に射った矢を狙って放った矢をその軸に命中させる技を披露して宮中に武名を轟かせたと言われています。しかし、滝口源氏の備(そなう)さんを殺害した犯人を捕縛した際、すぐに検非違使に引き渡さなかったため「匿った」との嫌疑を受けて帯刀先生の職を解任され、父が取り入っていた藤原道長さんの私兵になり、能登の荘園の管理人になりました。ところが不作によって年貢が納められなかったことの責任を問われて解任されると今度は京都で男色の趣味もあった道長さんの男妾になったのです。その後、道長さんは平清盛さんの弟の家盛さんにも手をつけています。
そのような先の見えない生活を送っている中、京都に戻った兄の義朝さんが下野守に任命されたため、すでに廃嫡していた為義さんは焦り、義賢さんを呼び寄せると銘刀・友切を授けた上で義朝さんに対抗するべく北関東の秩父重隆さんの助力の下に新たな勢力の獲得を命じたのでした。結局、義賢さんは秩父さんの娘婿になり、その所領を継承することになったのですが、この動きを察知した義朝さんが鎌倉にいた現地妻=三浦義明さんの娘との子である義平さんに命じて、埼玉県比企郡大蔵にあった秩父さんの館を襲撃して同居していた義賢さんと共に皆殺しにしたのです。
ちなみに鎌倉の頼朝さんに先駆けて京都に侵攻して平家を福原に追い、旭将軍の称号を得た木曾義仲さんは義賢さんの二男で、大蔵の館が襲撃された時に助け出されて乳母が嫁いでいた木曾に送り届けられてそこで成長したのです。
それにしても源氏は保元の乱では父子と兄弟が激しく戦い、木曾義仲さんと源頼朝さんは従兄弟同士、頼朝さんは実弟2人を殺害し、鎌倉3代将軍実朝さんは甥に殺害されています。それは足利尊氏・直義さん兄弟も踏襲していますから源氏の血統なのでしょう。
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  1. 2019/08/15(木) 12:26:20|
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