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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

8月18日・史上最大の自動車事故・飛騨川バス転落事故が発生した。

昭和43(1968)年の明日8月18日に乗客・乗員104名(生存者は3名)が死亡した史上最大の自動車事故である飛騨川バス転落事故が発生しました。この頃、野僧は愛知県岡崎市の小学生で、秋の遠足では事故に遭った岡崎観光(現在は名鉄観光)の観光バスに乗ることになりました。
事故は名古屋市の団地の主婦を対象にした無料新聞が主催し、名鉄観光サービスが協賛した「乗鞍岳の山頂で夜を過ごして雲海と来迎=日の出を仰ぎ、帰路には飛騨高山を観光する」と言うツアーに応募した乗客725名と主催者・運転手・添乗員48名が15台の観光バスに分乗しての移動中に発生しました(岡崎観光の1号車から7号車=4号は欠番と他社の8号車から16号車の2つに分かれた編成)。
当時、日本付近は台風7号が通過して気象状況は不安定でしたが、夕方の天気予報では「回復傾向」「翌日は晴れ」と予報していたためツアーの実施が決定されました。ところが岐阜県地方に大規模な積乱雲が多数発生していることを富士山レーダーが捉えたことで20時に岐阜県に雷雨注意報が発表され、22時30分には大雨洪水警報に変わっていたのですが、車内ラジオは就寝する客がいたため点けていなかったのです。
それでもベテランの運転手たちにとってこの経路は飛騨高山への観光や冬場のスキー・ツアーなどで走り慣れている道であり、悪天候下でも順調に進行して集合・休止地点である現在の下呂市のモーテル飛騨に到着しましたが、ここで警報の発表と毎時50ミリの豪雨、さらに崖崩れが各所で発生しているとの情報を聞いてツアーの主催者である新聞社の社長が中止を決定しました。しかし、名古屋に向けて出発して間もなく1号車から3号車が通過した道路が崖崩れで通行不能になったため続行していた5号車から7号車の3台が立ち往生し、運転手と乗務員が懸命に善後策を講じているところに高さ100メートル、幅30メートルの巨大な崖崩れが直撃し、5号車と6号車は崖下15メートルを流れる飛騨川に転げ落ち、7号車だけは辛うじてガードレールで押さえられました。
生き残った乗務員ほかの男性4名が降り止まない豪雨の中、何カ所も崖崩れと崩落が発生している悪路を歩いて対岸にあるダムの見張り所に向かい警察署に事故が通報されたのですが、それは事故発生から3時間29分経過した午前5時40分でした。
通報を受けて警察と地域の消防団、さらに陸上自衛隊に災害派遣が発令されて(最終的には陸海空9141名=海上自衛隊の潜水員や車体を吊り上げた豊川・第101建設大隊の大型クレーンを含む)大規模な捜索活動が開始されましたが、転落した場所はダム湖でもあり2台のバスのうち5号車は300メートル下流で発見されたものの6号車は豪雨で増水した川底に沈んで発見できませんでした。そこで上流のダムを止水し、下流のダムを放水する「水位零(ゼロ)作戦」でようやく900メートル下流で発見したのです。
犠牲者の遺骸は事故の翌日には飛騨川が木曾川に合流して流れ込む伊勢湾岸の知多半島でも発見されており水量の凄まじさ=自然の猛威を見せつけましたが、現段階でも9名が行方不明のままです。
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  1. 2019/08/17(土) 12:19:58|
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