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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1647

翌朝、目を覚ますと隣りに眠っている女性が佳織ではなかった。それでもこの寝顔は心にそのまま溶け込み、吐息の音と匂いも記憶に甦ってくる。気がつくと梢は私の右手を固く握っていた。
佳織も私の胸に顔を埋めて眠るが自衛官としての生活習慣で熟睡はしておらず、起床時間には自動的に目を覚ましてしまう。私としては昨夜、シャワー・ルームで見惚れた今の梢の乳房の弾力を堪能したかったのだが、右手が封印されていては諦めるしかない。
その時、突然に梢の目が開いた。昔から通信ケーブルのような赤い糸で結ばれている私と梢は強く通じ合っているが、坊主にあるまじき煩悩に囚われていることを察知したのかも知れない。どちらにしても目が細い私はこの大きな目が放つ迫力には圧倒されてしまう。
「クックックックッ・・・オギャー、オギャー」すると襖の向こうで新しい生命が躍動し始める叫び声が聞こえてきた。恵祥のお目覚めだ。それにしても夜泣きを全くせずに朝まで眠ってくれるとは何とも親孝行な息子だ。淳之介は美恵子の寝かしつけがいい加減だったため夜泣きをした。おかげで防府の教育隊の班長としては慢性的睡眠不足で集中力が削がれて大変だった。その点、志織は佳織譲りの太い神経が備わっているので阪神大震災の災害派遣で不在になった期間を除けばよく眠っていた。果たして恵祥はあかりに似たのだろうか。
「恵祥、おはよう。お腹が空いたんだね。オッパイを拭いてから飲ませてあげるから待っててね」恵祥が泣き始めてすぐにあかりが話しかける声が聞こえてきた。おそらく祖母が襖を開けて見守っているはずだ。梢も腕枕を離れて身体を起こしている。これでは経験者とは言え私の出番はない。リビングの向こうの佛間から聞こえるあかりと恵祥の様子に耳を澄ませている梢を邪魔しないように小声で話しかけた。
「夜泣きしないんだね。それならあかりの負担も軽くて助かるな」「普通は知らない人が泊まりに来れば怯えて泣くものだけど、恵祥も貴方がお祖父ちゃんだって判ってるんだね。だから安心していつも通りに眠ってくれたみたい」恵祥は目覚めて私が抱いた時も泣かなかった。だから風呂に入れることもできたのだ。
「はい、お待ちどおさま。おっぱいだよ。お母さんもおっぱいが痛いから沢山飲んで下さいな」朝まで眠ってくれると母親の乳房は分泌する母乳で八切れそうになってかなり痛いらしい。佳織も噴き出した母乳が志織の顔にかかって飲ませながら拭き取るのに苦労していた。今頃、佛間でも同じ場面が再演されているのだろう。
いつも通りの朝が始まったことを確認して梢は安堵したように微笑むとその顔を横になっている私の顔に重ねてきた。これは最後になった旅行で泊まったホテルで朝を迎えた時以来のモーニング・キッスだ。あの時は数カ月後に別離を迎えるとは予想もしていなかった。それは梢も同様だったはずだ。諸行無常の理(ことわり)ではやり直しも新たな始まりだが、梢との関係の再開は切断された部分を接合させたような気がしていている。その因果を引き寄せてくれたのは淳之介とあかりであり、許してくれた妻・佳織である。
私は上に重なっている梢を押し起こすとパジャマの上から乳房を掴み、朝から囚われている煩悩を解消した。やはり30年弱の歳月は女性の肉体も熟成させるものらしい。
朝食後、梢と一緒に那覇市内のホテルへ行くと軍服姿の王中校はホテルのロビーでテレビのニュースを見ていた。このニュースは日本語だ。つまり王中校は日本語も理解できるようだ。
「王茂雄(ワン・マオシィォン)中校ですね、中華民国陸軍第6軍団指揮部法務官の。モリヤニンジン2佐です、日本国陸上幕僚監部法務官室付の」英語の自己紹介は肩書を英訳するだけなので簡単だ。ただし、順番は個人名が先になる(名刺の記載も同様)。
「はい、王中校です。今回はご無理をお願いしました」梢は私の隣りに立って王中校の英語に耳を傾けている。今日の服装は通勤着よりも少し華やかなワンピースだ。一方、私は王中校のアメリカ陸軍式の薄い緑の上衣と濃緑のズボンに比べて黄ばんだワイシャツのような我が社の制服が恥ずかしくなった。やはり昔の薄茶灰色の上下にしてくるべきだった。
「実は沖縄で初孫が生まれまして、貴方のおかげで対面を果たすことができました。心から感謝しています」「ほう、お子さんは沖縄で暮らしているのですか。それはおめでとうございます」私の説明に王中校は少し表情を緩めて祝辞を添えた。
「それでこちらは・・・奥さまのモリヤ佳織上校(1佐)ですか」王中校は佳織の氏名と階級も知っているらしい。最初に書簡が届いた時、自衛隊情報保全隊が妙な反応を示したことを過剰だと思っていたが、あらためて「流石はプロ」と感心することにした。
「こちらは孫の祖母です。今日は広東語の通訳を頼みましたが必要ないようですね」私としても日本語のニュースを見ていたことからの推理を突きつけて軽い打撃を返しておいた。
た・純名里沙イメージ画像
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  1. 2019/08/19(月) 12:24:21|
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