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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

8月27日・初代アメリカ海兵隊総司令官・サミュエル・ニコラス少佐の命日

1790年の明日8月27日はアメリカ海兵隊の前身である大陸軍海兵隊の緒戦を飾る戦闘を指揮したサミュエル・ニコラス初代司令官(階級は少佐だった)の命日です。
ニコラス司令官は1744年にイギリスの植民地だったペンシルバニアのフィラデルフィアで鍛冶屋の息子として生まれました。ニコラス司令官が飲み屋の親父になっていた1775年4月19日に独立戦争が始まると同年6月12日に生起したマチャイアスの海戦の勝利(イギリスの補給艦隊を大陸軍が小型艦艇で襲撃した。独立軍はスクーナー=三角帆の高速帆船を捕獲した)で意気上がる大陸海軍の大尉に任官しました。
ニコラス司令官が大尉に任官して5日後の11月10日の大陸戦争指導会議でヨーロッパ列強の海軍が有している地上戦部隊に倣った海兵隊の設置が決定したのですが、大陸陸軍を指揮するジョージ・ワシントン司令官は将兵の割譲を拒否ししたため言い出しっ屁のロバート・ミラン大尉が1人で組織を造る羽目になったのです。しかし、郷土愛に溢れ(独立戦争なので愛国心ではない)、勇気があり、体力に自信を持っている若者は陸軍に参加しており、かつての自衛官募集のように「お兄ちゃん、海兵隊に入らない」と声をかけるような苦労をしていたようです。結局、フィラデルフィアのキング・ストリートにある飲み屋「タン・タバーン」を大陸海軍海兵隊の創設準備事務所にして、若者を泥酔させて意識朦朧としている中で入隊志願書にサインをさせて士官10名と兵員200名を集めたと言う昔の自衛官なら納得する逸話が語り継がれています。ちなみに現在もこの「タン・タバーン」はアメリカ海兵隊誕生の聖地として営業しています。
ニコラス司令官も11月28日になって海兵隊の創設を聞くと即座に海軍から移籍して募集する側で貢献したようです(早い話が元飲み屋の親父として若者を酔い潰したのか?)。この功績を評価されたのかは不明ですがニコラス司令官は大尉のまま移籍した日にさかのぼって11月28日付で海兵隊司令官に任命されています。
頭数は揃えたものの新設海兵隊は素人の集団に過ぎず、ニコラス司令官はバブル期の浜松基地警備小隊長のように隊員と部隊の戦力化に孤軍奮闘することになり、その成果は1776年3月3日のナッソーの戦いで発揮されました。この戦いではフロリダ半島の東方に浮かぶバハマ諸島ニューブロビデンス島のナッソーにイギリス軍が置いていた補給基地を250名の大陸海軍海兵隊が襲撃し、13日の戦闘の末に占領しただけでなく大砲88門と16535発を奪取しました。その後も1783年9月3日まで続く独立戦争で繰り広げられた各地の戦闘で戦功を重ねていきますが、アメリカの戦史ではジョージ・ワシントン初代大統領の功績として大陸陸軍=アメリカ陸軍の所有物にされているようです。
ニコラス司令官は独立戦争の終結に伴い海兵隊が解散すると少佐として軍籍を離れ、特別な栄誉を受けることもなくフィラデルフィアで暮らしていましたが、この日に黄熱病で死去しました。
1798年7月11日に再建されたアメリカ海兵隊はニコラス司令官を公式に初代総司令官と認定しており、海軍も「ニコラス」の名を冠した駆逐艦を4隻就役させています。
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  1. 2019/08/26(月) 10:21:34|
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