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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1655

夕食は那覇駐屯地の糧食班で残飯喫食させてもらった。残飯喫食と言うのは正規の手続きを踏まずに後で残飯として破棄する予定の余剰分を先に回してもらう裏技だ。これが公式訪問であれば糧食班が威信をかけて調理した豪華な料理で首脳陣と会食になるのだが、幹部食堂で通常の隊員食を味わうのも王中校には得難い体験のはずだ。案内は当然、駐屯地業務隊長だが単身赴任と言うことで夕食も糧食班で喫っているため特別な対応はないらしい。
「これで通常のメニューなのか」幹部食堂の奥に設けられている高級幹部の席でお盆に載せられて運ばれてきた一膳飯を見て王中校は隣りの私に戸惑ったように訊いてきた。陸上自衛隊の糧食班は調理師免許の取得を目指す陸士に実習させているため素人仕事であり、プロの調理師が腕を揮う海上の烹炊場や航空の給養小隊に比べて出来栄えは落ちるが、今日の料理は主菜から副菜、汁物、果物まで味付け、焼き物と煮物の取り合わせ、色合いまで行き届いている。
「どうぞ遠慮なく味見してみて下さい」私たちの向かいが指定席になっているらしい駐屯地業務隊長は自信ありげな顔で勧めてきた。やはり特別メニューのようだ。王中校と駐屯地業務隊長は箸を取って料理に手をつけたが、私は坊主としての作法を始めて出遅れてしまった。
那覇駐屯地の次は王中校の「肉親にも面会しておきたい」と言う要望で美恵子の2人の姉・日出子と夕紀子が交代でママを務めているスナック・カッチンだ。事前連絡を取っていないので今夜はどちらの担当なのかは判らないが、私としては同じ年の夕紀子の方が有り難い。
「玉城美恵子に何をやらせるつもりなんですか」カッチンが入っているビルの前でタクシーを下りた私は人通りがない歩道で単刀直入に質問した。今回の同行で私の中では王中校がここまで念入りに身元調査をする目的に自衛官としての警報装置が反応し始めている。王中校が法務官として間諜(スパイ)を捜査し、逮捕すれば司法、そして処理するのと同時に諜報活動にも関与していることは鈍い私も可能性として察知しており、ここまで玉城美恵子の身上を調査し、中国語を習得させようとしている目的が書簡にあった「理髪師としての才能を認めた」では納得できなくなってきている。考えられるのは美恵子に台湾の都市部で日本人や外国人相手の理容店を開業させ、国内に潜入している間諜を発見する監視所にすることだ。すると王中校は落ち着き払った顔のまま英語で答えた。
「玉城美恵子に広東語をマスターさせて我が国に呼び寄せる目的は貴方への書簡に記した通りだ。ただし、出店させるのは香港だ」これは想定外の告白だ。私は王中校の養女でもあった在香港の諜報員・盧暁春こと鄭祖賢が上海国際博を利用して潜入した北京で殺害された悲劇は知らないが、共産党中国が返還交渉でイギリスに約束した1国2制度を覆して支配権を強化していることは認識している。つまり私が考えていた内向きの目的ではなく台湾が国外に置く監視カメラ、盗聴器としての使用を考えているのだ。確かに中国当局の警戒も緊張感がない日本人の方が緩そうではある。私は黙ってうなずくと手で前を指して先に階段を登り始めた。
「いらっしゃいませ」「ハイサイ」以前は使い慣れていたドアを開けて店内に入ると二女の夕紀子の声がした。私の島口=沖縄方言の挨拶に夕紀子は顔を見ないで「モリヤねェ」と言い当てた。それにしてもカウンターと入口の間に壁があって来店した客が見えない構造上の欠陥を放置したまま数十年が経過している。改築する気はないのだろうか。
「あれ、仕事ねェ。格好いいさァ」壁を通ってカウンターの前に出ると制服姿を見た夕紀子は呆れたように声をかけてきた。沖縄では不要なトラブルを避けるため隊員の制服通勤を強制していないので一般市民が自衛官の制服姿を見る機会は本土よりも少ない。夕紀子は私の黄ばんだワイシャツのような制服を興味深そうに眺め始めた。最近の陸上自衛隊は次々に妙な徽章を作っているため胸ポケットと肩までの狭い生地にゴテゴテとバッチを並べることになっているが、私は服装規則で義務づけられていない徽章(多くは「着けることができる」と規定している)は装着していないので防衛記念章と格闘徽章、そしてヒマワリ型の弁護士徽章だけだ。夕紀子がミリタリー・ファッションに興味を持ったところで次のモデルを登場させた。
「どうぞ」「こんにちは」私が壁の陰で待っていた王中校に声をかけるとニコヤカな笑顔で歩み寄った。この店ではカウンター内だけが強い照明になっているため私たちはスポットライトを浴びたステージ上のモデルのように照らし出されている。夕紀子は王中校の薄い緑色の軍服と私の黄ばんだワイシャツを見比べながら首を傾げて挨拶を忘れていた。
「こちらが玉城美恵子の姉の夕紀子です。こちらは美恵子が台湾でお世話になった台湾国陸軍の法律関係の幹部、王中佐だ」「これはどうも、馬鹿な妹がご迷惑をかけました」私の紹介に我に返った夕紀子は急にかしこまっていつになく深く頭を下げた。
「こちらにどうぞ」まだ時間が早いので他に客はおらず、夕紀子はカウンター席を勧めた。
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  1. 2019/08/27(火) 10:59:49|
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