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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1660

南城市の玉城一族の家は南城市新原の集落の外れにある小高い丘の登り道に沿って軒を連ねている。古くからの石垣で囲われた赤い瓦屋根の家は沖縄戦で第32軍司令部が本島南部の摩文仁に移ってから加えらるようになった艦砲射撃と空襲で破壊されてしまったが、戦後の土地の再分配のクジ引きで父の松栄は丘の頂上が当たってモンチュウ(門衆)を見下ろしながら暮らしている。生活用水が井戸だった頃は水汲みが大変な高台の家は嫌われたものだが、沖縄を統治したアメリカ軍は戦災からの復興と並行して水道や電気の整備を推進したため父の松栄がタクシー運転手として稼ぎ、勝子と結婚して家を建てる頃には水道になっていた。だから眼下に海が広がり、涼しい風が当たる快適な家なのだが、美恵子は坂道の往復が嫌で仕方なかった。
、今日も朝から丘の反対側の斜面にあるモンチュウの墓に連れて行かれ、それが終わって人心地つくと今度は坂道の登り口にあるモンチュウの長(おさ)・松泉の屋敷に向かって再び坂道を下らされた。松泉の屋敷は南部の集落を結ぶ街道と坂道の角の平坦な土地を独占するように建っている。この屋敷も戦後、各種事業を起こして財をなした松泉が独力で建てたものだ。
「美恵子、ついて来こんか」泡盛の一升瓶を片手に持った父が振り返って声をかけた。隣りの母は土産でもある祖先壇(沖縄では本尊は祀らず儒教式に棚に名牌を並べる)への供物の箱菓子を包んだ風呂敷を抱えている。昨日、空港では証言のため台湾の法廷に立った時に比べて急に老い衰えた2人の顔を見て親不孝を後悔した美恵子だったが、今日は嫌なことばかりを強要されてそれも1日限定、単なる気の迷いになっている。入国管理局から正式に許可が下りれば即刻、家を出て住み込みの仕事を探すのだが両親が身元保証人になっている以上、今は黙って従うしかない。美恵子が前を向くと両親は立ち止っていた。
「判ってるさァ」美恵子は四捨五入すれば50になる大人とは思えない態度で返事をして、僅かに歩調を早めて両親の後ろに近づいた。
松泉の屋敷では妻が松栄と勝子、美恵子の3人を招き入れると客間に案内し、奥の和室の襖を開けた。この部屋は大きな宴席では客間を広げるのに使い、普段はテレビと座卓を置いて主人の居間にしていたのだが、今は介護用ベッドが運び込まれて松泉が寝かされていた。松泉の鼻から2本のビニールの管が下に置いてあるボンベにつながっている。
「ニイニ、昨日美恵子が帰ってきました」客間に正座した松栄が呼び掛けると顔を向けていた松泉は肩で大きく息を吸って口を開いた。
「無事に帰ったな。元気そうで何よりだ」美恵子は松泉伯父を厳しく口やかましい人物として敬遠してきて、今日も激しく叱責されると思っていた。それが思いがけず優しい言葉をかけられて戸惑っていると松栄は畳に頭をすりつけ、勝子もそれに倣って頭を押し当てた。
「今日、美恵子にはモンチュウの名を汚したことを墓でご先祖さまに謝らせました」「こちらはつまらない物ですが祖先檀に供えて下さい」勝子は頭を上げると脇に置いていた風呂敷を前に回し、結び目を解いて箱菓子を掲げて伯父に見せてから妻に差し出した。続いて松栄も一升瓶を同じ流れで妻に渡した。美恵子にとっては親戚の間でこのように仰々しい挨拶することが馬鹿らしく「つき合い切れない」と正座だけしてそっぽを向いていた。
「美恵子・・・」妻が立ち上がって客間の正面に設けてある祖先檀に供物を上げ、茶を用意するため台所へ行くと松泉がかすれた声で呼んだ。その口調にも怒気は感じられない。
「返事をせんか」「はい」父に叱責されて美恵子は返事だけをした。この態度に両親は昨日、帰宅してから見せていた殊勝な態度が見せかけだったことを思い知って顔を見合わせながら互いに親としての至らなさを噛み締めた。
「ワシは肺癌だ。だから長くは話せん。それでも生きている間に帰ってくれて安心した。お前が外国で刑に服している間は弥勒世果報(ミルクユガフ)にお迎えいただいてもお連れいただく訳にはいかんかった。お前も我が玉城家のモンチュウの大切な宝だから、無事に戻ったのを確かめなければニライカナイへ旅立つことはできんのだ。でもこれでいつでも死ねる」弥勒世果報は中国から直接佛教が伝播した沖縄で信仰されている本尊で本土ではあまり祀られていない弥勒(みろく)佛だ。浄土のニライカナイは海のかなたにあるとされている。ここで美恵子の頭に良識を大きく逸脱した疑問が浮かびそのまま口にした。
「伯父さんは戦争中、何人もアメリカ兵を殺したんでしょう。それでもニライカナイに往けるの」丁度、お茶を運んできた妻は信じ難い暴言に動揺して盆ごと畳に落としてしまった。それを見た母は立ち上がると台所から雑巾を持って来てこぼれた茶を拭き始めた。父は怒ることも忘れて呆然と美恵子の横顔を眺めている。美恵子だけは悪ぶれることもなく膝立ちになって伯父の顔を覗き込んでいた。すると松泉は再び大きく息を吸って口を開いた。
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  1. 2019/09/01(日) 10:56:12|
  2. 夜の連続小説8
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