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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

9月5日・ミュンヘン・オリンピック選手村占拠事件が発生した。

1972年の明日9月5日にミュンヘン・オリンピックの選手村のイスラエル選手団の宿舎がパレスチナ・ゲリラ「黒い9月」の8名に襲撃・占拠され、人質11名とゲリラ5名(3名は逃亡した)、警察官1名が死亡する近代オリンピック史上最悪の事件になりました。
この事件はパレスチナとイスラエルの抗争よりも、当時の西ドイツ政府がナチスのイメージ払拭に執着し過ぎたことが発生を招き、解決を妨げたと言えるでしょう。ミュンヘン・オリンピックを開催するに当たり西ドイツ政府は前回のベルリン・オリンピックがナチス・ドイツの威信を世界に誇示するアドルフ・ヒトラー総統主演の舞台劇になったことを踏まえ、新たな平和国家に生まれ変わったドイツを世界に宣伝することを目的にしたため「対テロ」と言う概念さえも排除して銃器を持たない警備員を目立たないように配置し、犯罪的事態には地元警察だけで対処することにしていました。
このため深夜4時過ぎにゲリラたちが選手村の外柵を乗り越えて侵入するのを目撃した警備員は「門限に遅れた選手か役員が帰ってきたんだろう」と思い込んで放置したのです。そうしてゲリラは選手村内を隈なく捜索し、イスラエル選手団の宿舎を発見することに成功してしまいました。さらにゲリラが宿舎に侵入すると居合わせたレスリングのコーチとユダヤ系のアメリカ人選手を殺害し、コーチの遺骸を前庭に投げ捨てて9名の選手とコーチを人質にして宿舎を占拠したのですが、午前5時30分頃に巡回してきた警察官が遺骸と屋上で銃を構えるゲリラを発見するまで事件の発生に気づかなかったのです。
庭に集って来た警察官にゲリラは犯行声明と要求を記した2ページの紙片を投げ渡し、これにより「黒い9月」と言うグループ名とイスラエルが収監している234名のゲリラ(日本赤軍の岡本公三くんも含まれていた)を午前9時までに解放すると言う要求が判明しました。ところが午前6時30分から地元テレビ局が中継を始め、合わせてニュース番組が現状を詳細に解説するようになったため、ゲリラは警察側の配備状況や交渉の進展と西ドイツ・イスラエル両政府の態度までを把握することになり、実際、地元警察が自動小銃を携帯させた急ごしらえの部隊を突入させようとするとそれをテレビが実況中継したため中止を余儀なくされたのです。しかし、警察当局や政府が報道規制を要請するとマスコミが「市民の知る権利の侵害」と批判する信じ難いほどの教条主義的権利の主張が始まりました。
結局、イスラエル政府がゲリラの要求を全面拒否したことで地元警察は万策尽きたのですが、翌日になって「ヘリコプターで空軍基地まで移動し、そこから旅客機で国外に脱出させる」と言う提案にゲリラ側が応じ、ここでの制圧作戦を準備しました。
ところが旅客機内で待ち構えて制圧する任務を与えられた警察官が使用する銃器がゲリラよりも劣ることを理由に連名で拒否したため無人になり、下見に搭乗したゲリラのリーダーと副リーダーに警戒心を抱かせ、ゲリラの人数を5名と誤認していたため狙撃要員も5名しか用意しておらず、応援部隊はマスコミと野次馬の車両による交通渋滞で間に合わず、全員を一度に射殺することは不可能だったにも関わらず漫然と発砲したことで銃撃戦になり、ゲリラが自爆したことでヘリコプター内につながれていた人質も全員死亡したのです。
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  1. 2019/09/04(水) 12:31:20|
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