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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1669

父・松栄の命令を受けた美恵子は伯父の松泉の髭を剃るために毎日、家の前の坂道を通うようになっていた。門柱代わりの石垣の最下部には「石敢當(いしがんとう)」と刻んである。これは古代中国の勇将の名前で魔物のマジムンが「『石敢當の屋敷だ』と思って侵入を避ける」と言う伝承による魔除けだ。マジムンは直進しかできないため角の家にこれを刻めば横道には侵入してこないと言う。そんな門を通って魔除けの塀のヒンプンの脇を抜けると玉城松泉家の玄関に着く。玄関の上の屋根には市販品ではない陶製の立派なシーサーが番をしている。この屋敷は玉城家モンチュウの防御拠点になっているのだ。
「こんにちは」「どうぞ、入って」玄関の引き戸を開けて声をかけると中からは松泉の妻の声が返って来た。時間を決めている訳ではないが、朝昼晩の食事と昼寝を外せば来訪は自ずから決まってくる。帰国後の挨拶では心象を著しく害してしまった美恵子だったが、毎日通ってプロの仕事を繰り返している間に徐々にではあるが嫌悪感を薄めることができてきた。
「伯父さん,来たさァ」最近は妻の案内なしで奥の松真の部屋へ入るようになっている。松泉は介護用ベッドに横になったままうなずいて出迎えた。
「今日も髭を剃るよ。伯父さんもシマンチュウだから濃いくて大変さァ」美恵子はカバンの中からポット式水筒に入れてきた蒸しタオルを取り出して顔に当て、ベッドの下の座卓に載っているポットから泡立て器に湯を汲むと石鹸の泡を立てながら話しかけた。
「初めてお前に当たってもらった時にはバリカンが欲しそうだったな」松泉は美恵子が帰国の挨拶に来た時、伸び切っていた無精髭を剃ることを依頼した。その後、美恵子は激怒して帰った両親に家で叱責させることから逃れるため、理容の道具を用意するとその足で戻ってきた。確かに2週間も剃っていなかった髭は髪の毛と変わりがなく、熟練の美恵子でも剃刀で剃るのには手こずった。松泉はあの時の美恵子の真剣な顔を思い出して苦笑していた。
「はい、頭の下に防水シートを敷きます。頭を上げるさァ」美恵子は柔らかく頭の下に手を差し入れると松真の頭を浮かして素早く肩までのシートを敷いた。美恵子のプロとしての客あしらいに松泉は黙って従っている。今日も気持ち良く髭を剃られ、身嗜みを整えられるのだ。ただし、鼻に挿入されている酸素チューブは巡回医療の看護師でなければ抜くことができないので、ハサミで形を整えて口髭に仕上げている。
「美恵子はワシが戦争でアメリカ兵を殺したと言っていたが、鉄血勤皇隊をどのような隊だったと思っているんだ」髭剃りが終わって冷めた蒸しタオルで顔を拭いてもらった松泉は孫を見るような優しい目で訊いてきた。長男の松泉と末の弟である松栄では15歳の年齢差があり、その3女の美恵子とは祖父と孫ほどの違いがある。松泉が鉄血勤皇隊として出征した時、松栄は幼児だったから沖縄戦の記憶も鮮明ではないはずだ。
「学校の先生は日本軍が人手不足の穴埋めに地元の生徒たちを集めて作ったのがケッテツキンオー隊で、戦争が始まると危険な仕事ばかりをさせたからほとんど殺されたって言っていたさァ」「鉄血勤皇隊だ」松泉は先ず用語の誤りを訂正した。美恵子の知識は復帰後に本土から大挙して転勤してきた元学生運動の活動家の教師たちが吹き込んだ沖縄被害者史観でも沖縄戦を日本軍による組織的住民虐殺とする誤った極論に他ならない。それを琉球大学で沖縄出身の学生たちにまで感染させたのが1998年に落選した元師範鉄血勤皇隊(宣伝情報担当で戦闘には参加していない)の沖縄県知事だ。松泉の目が急に険しくなった。
「それは完全な嘘だ。ワシが経験した鉄血勤皇隊はそんなものじゃあない」「生徒たちは日本軍に洗脳されていたから自分たちが利用されていたことに気づかなかったのさァ。天皇陛下万歳って言って死ぬように教えられてたんでしょう」シマ正月や清明節のモンチュウが集まる宴席で松泉は子供たちに戦争体験を語っていたが、松栄の子供たちでも姉2人と弟の松真は真面目に聞いていても美恵子だけは上の空で、中学生からは顔を見せなくなっていた。
「最近になってひめゆりのオバアたちが『日本軍に利用された』って言い始めたのさァ」それは戦跡の付属資料館で修学旅行生や観光客を相手に悲惨な体験談を語る元補助看護婦たちのことだ。松泉は口を開けて大きく息を吸うと美恵子の目を直視しながら話し始めた。
「ワシは鉄血勤皇隊で日本軍の兵隊に守ってもらっていた。しかし、戦況が厳しくなって守り切れなくなったから同級生たちは一緒に死ぬことになったんだ。考えてもみろ、故郷から遠く離れた沖縄で戦っている兵隊たちが家に残してきた弟や子供みたいな生徒を自分たちの代わりに危険な目に遭わせることができるか。それが肉親の情と言うものだ」無理な長台詞を吐いて松泉は激しく咳き込み始めた。美恵子は丸めた背中をさすりながら心の中で「死ぬ前に伯父さんの洗脳が解けますように」と祈っていた。
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  1. 2019/09/10(火) 11:23:10|
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