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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1673

嘉数高地での苦戦によって進撃速度の遅れを非難されていたアメリカ軍上陸部隊は沖縄本島北部の山中にこもった日本軍の掃討作戦に当たっていた海兵隊を転用して陸軍と海兵隊の4個師団を横に並べて南進してきた。このうち海兵隊については那覇市内の海岸への強襲上陸も作戦の選択肢に入っていた。一方、日本軍もこの動きを予測して知念半島での海岸線防備に当たっていた第44旅団を那覇市内に配置していた。
首里攻防戦に備えて松泉たちが配置されたのは独立混成第44旅団が守備する安里54高地だった。安里54高地は現在の国際通り北端脇にある貯水タンクが設置されている高台のことで、地元では慶良間諸島が眺望できるためキラマ・チージ(慶良間辻)と呼んでいた。日本軍としてはアメリカ軍が強固な陣地を配置している浦添から首里にかけての丘陵地帯を迂回して東西の海岸線から攻撃してくる可能性が高いと考えており、安里54高地を首里への侵攻を阻む防御拠点と考えていた。そこを任された独立混成第44旅団は九州南部の部隊によって編成されたのだが、旅団主力の歩兵4100名を乗せた輸送船がアメリカ海軍の潜水艦に撃沈されたため、千葉県の歩兵連隊を空輸して補充したまさしく混成旅団だった。
敵が迫る中、松泉は工業学校の生徒=工業鉄血勤皇隊の隊員が有線電話を展開する作業を手伝って丘の上の歩哨壕に行った。司令部の通信隊でもモールスを打てる水産学校の生徒は電信=無線、電機を学んでいる工業学校の生徒は電話=有線に配置されており、一般の中学生でも文章能力に優れている者は電文の記述要員や伝令として採用されているらしい。
松泉と工業学校の生徒は電話線のドラムを丸太の屋根で覆っている歩哨詰所の壕の中に置き、端末に革製のカバンに入った電話機を接続した。ここで工業学校の生徒はレバーを回して交換との導通検査を実施する。その間にも東シナ海の方向からは砲撃戦の轟音が聞こえている。
「アメ公はこの安里54高地をシュガーロ―フて呼んどるらしか」松泉が蒸し暑い壕の中で鉄帽を脱ぎ、手拭で額の汗を拭うと少し老けた軍曹に聞き慣れない方言で話しかけられた。首里から浦添で一緒に陣地構築に励んでいた兵隊たちは満州北部のハルビンで黒竜江の国境警備隊から編成された第24師団だったため会話は標準語だった。「さァ」「ねェ」と語尾を軽く流すシマンチュウには殊更に強く言う九州人の言葉は叱られているような気分になる。
「シュガーって英語で砂糖のことじゃあないですか。甘い名前をつけたんですね」すると導通検査を終えた工業学校の生徒が話を引き継いだ。工業学校には九州最大の中心都市・熊本から赴任している教師が多く、この方言にも慣れているようだ。
「何でもアメリカの菓子パンの名前らしか。この丘みたいな丸い形なのかも知れんたい」軍曹は自分で納得しているが、松泉にとってこの丘は琉球王家の菩提寺である崇元寺の山門前の美しい街並みに囲まれていた情景が記憶されているのだ。しかし、昨年10月10日の那覇市の大空襲と春以降の艦砲射撃で赤い瓦屋根と石垣で囲まれた家屋は破壊され、立木もなぎ倒されて丸裸になっている。松泉と工業学校の生徒は軍曹に一礼するとドラムを運んできた背負子を抱え、丘を下って安里川沿いを連隊指揮所に向かった。
「本当は電話線を埋めておかないと砲弾で切断されてしまうんだ。だけど俺たちも浦添から首里までの陣地を電話線でつなぐだけで精一杯だったからどうしようもなかったのさァ」工業学校の生徒の嘆きに松泉は道端の溝に沿って這わしている電話線を見た。今も銃声と砲撃の音が切れ間なく聞こえている。方向から言って泊か曙の海岸線のようだ。
「西からはアメリカの海軍陸戦隊が攻めてくるだろう。海岸に上陸してきたのかなァ」「うん、浦添の高台には陣地を並べたからそれを避けたのかも知れないな」鉄血勤皇隊として出征して以来、松泉たちは首里から浦添一帯を要塞化する土木作業に明け暮れていた。嘉数高地の陣地構築は戦力と時間に余裕がなく、自然の岩場の割れ目などを利用した応急的な物になったが、それでも多大な戦果を上げたと聞いている。首里地区では鍾乳洞や窪地を地下壕に改造しただけでなく沖縄の亀甲墓の背部に抜け穴を掘ってトーチカにもした、。勿論、日本兵たちは中に収められている巨大なジーシガーミ(厨子甕=骨壷)を片づける時には一礼していた。
アメリカ軍が上陸してから異様に殺気立っている現場指揮所の将校士官たちは硫黄島の守備隊がアメリカ海兵隊を相手に繰り広げた洞窟を使った陣地戦の死闘を語り、硫黄島以上の戦果を上げると息巻いていた。これからその成果が発揮されるのだ。
実際のアメリカ海兵隊の首里侵攻は戦車を先頭に立てて陸路で海岸線を進み、5月上旬には浦添と那覇の市境である安謝川で日本軍と対峙した。安謝川を強行渡河しようとするアメリカ軍と阻止する日本軍の激戦は数日に及び、艦砲射撃と空襲によって日本軍の対地火力網を破壊して5月11日にようやく対岸に辿りついた。
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  1. 2019/09/14(土) 13:42:20|
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