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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1677(かなり実話です)

シュガーロ―フ、ハーフムーンの両陣地では今回も夜襲部隊が帰還せず日本兵の生存者は数少なくなり、壕の外ではシマンチュウの志願者が普段着のまま銃を持って歩哨に立っている。
そんな両陣地は翌日の猛攻には耐えたものの弾薬と食料も底を尽いてきた。日没後にはアメリカ海兵隊が松泉たちがいるハーフムーンの一角に手を掛け、至近距離で対峙している。この状況に指揮官の少佐はシュガーロ―フとの地下連絡路の爆破を用意させていた。
「今夜、お前たちは首里の司令部へ向かえ。陣地は敵に包囲されているが見つかっても『中学校の生徒だ』と名乗れば無闇に殺しはないはずだ」残り少ないローソクに照らされた薄暗い壕の中で夕食を終えた松泉たち鉄血勤皇隊の生徒に少佐が命令を下した。
「この陣地は明日には全滅するだろう。しかし、お前たちは郷土のために最後まで戦い抜かなければならん。どうか第32軍の最期を見届けてくれ」「嫌です。最後まで一緒に戦います」少佐の命令に続く悲痛な訓示に生徒の1人が抗論すると暗闇の中で「シッ」と大声を封じる音をさせた。唇に人差し指を当てた仕草は影になって見えなかった。すでに敵は壕から洩れる明かりや話し声を察知するほどの間近にまで迫っているのだ。
水産学校の配属将校は「上官の命令は天皇陛下の御命令」と言う誤った精神要素は教育しなかったが、軍隊では上官の命令が絶対なのは間違いない。鉄血勤皇隊の生徒たちは唇を噛んで「はい」しかない返事に替える台詞を考えていた。
「ニヘーデービル(有り難うございました)」松泉は指揮官にだけ届く声でこのシマグチ(沖縄方言)の感謝の言葉を口にした。この感謝の辞は世話になった礼ではなく、沖縄のために命を捨てたナイチャアの英霊とその覚悟をしている指揮官以下の生存している兵隊たちへの追慕の念から発していた。その夜、松泉は指揮官を命じられ、生徒に見えるように鉄帽を脱いで学生帽をかぶって陣地を抜けだした。
翌5月18日、アメリカ海兵隊第6師団は第29連隊を主体に最後の予備兵力である第4連隊と残っている全戦車を投入してシュガーロ―フとハーフムーンの制圧を開始した。
先ず艦砲射撃で首里の砲兵陣地を沈黙させると前日の日没後に確保したハーフムーンの北側から戦車を接近させて丘全体に砲撃を加えた。そして後続の第29連隊の歩兵が判明している壕とトーチカにしていた亀甲墓の中に手榴弾を片っ端から投げ込んで破壊した。
その後は戦車が数百メートルの距離のシュガーロ―フへ進攻し、一気に丘の周囲を横切り南側まで進んだ。ここには擲弾発射筒の陣地があったがすでに壊滅していた。戦車はこの位置から発砲してくる日本軍の銃座を砲撃して破壊すると歩兵が前進し、ついにシュガーロ―フも占領した。
この6日間の戦闘でアメリカ海兵隊は大隊長3名、中隊長11名が戦死するなど2662名の戦死傷者と1289名の戦闘疲労患者=発狂者を出した。特に小隊長として現場で指揮を執った中尉は小銃ではなく弾帯に拳銃を装着していることで識別されて狙撃兵の標的にされた。中にはカレッジ・フットボールのスーパースターだった中尉や着任して15分で戦死した中尉もいて、そんな名前を覚える暇もない使い捨て状態にアメリカ兵たちは同情を込めて「トイレット・ペーパー」と仇名していた。
首里の丘陵地帯での戦闘は太平洋の島々で日本軍との激戦を経験してきたアメリカ軍が「過去に経験したことがない」と愕然とするほどの死闘だった。洞窟や石灰岩の岩盤を利用した日本軍の陣地は戦艦の主砲による艦砲射撃でも破壊できず、その設計も硫黄島と同じくアメリカ軍の行動様式を計算し尽くしたものだった。このため午前に進撃し、午後は占領地区での陣地構築、夜間は陣地内で防御と休息と言う日程を基本とするアメリカ陸軍が予定通りの進撃ができず、構築している陣地を破壊されて日本軍の夜襲で大損害を受け続けている。
「Wowーッ」昼間は日本軍の正確な砲撃で前進を阻まれるため、とうとうアメリカ軍が夜襲をかけて銃剣による白兵戦を繰り広げるようになった。演習で夜間の突撃には熟練している日本兵もアメリカ軍の英語訛りの歓声には驚き、混乱を発生させて損害を被った。
嘉数高地陥落後2カ月弱の戦闘でアメリカ軍は26044名の戦死傷者を出し、陸軍は7762名、海兵隊でも6315名の戦闘疲労患者が発生している。日本軍守備隊が万歳突撃による自滅=玉砕を放棄してペリリュー島や硫黄島、そして沖縄のような持久戦を選択していればルーズベルト大統領が指揮する対日戦争の戦略が大きく狂ったのは間違いない。
この戦況に八原高級参謀は「あの馬鹿げた積極攻勢がなければアメリカ軍を壊滅に追い込むことができた」と舌打ちしたが、その言葉通りに戦力を無駄に消耗した結果、支え切れなくなった防衛線を突破されると激論の末、5月22日に首里城の地下に構築した第32軍司令部陣地を放棄することが決定し、26日に転進と呼ぶ逃避行が始まった。
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  1. 2019/09/18(水) 13:32:42|
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