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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

報道カメラマン・チャーリー・コールさんの逝去を悼む。

9月14日、1989年6月4日から中国の北京で発生した天安門大虐殺の象徴的写真として日本を除く西側諸国に衝撃を与えた「無名の反逆者」=「戦車男」をAP通信のジェフ・ワイドナーさん、マグナム・フォトのスチュアート・フランクリンさん、ロイターの曾顯華さんと共に撮影した報道カメラマンのチャーリー・コールさんが移住していたバリ島で亡くなっていたことが明らかになりました。64歳でした。
コールさんはこの写真で1990年の「世界報道写真コンテスト」を受賞していますが、2003年にはフランクリンさんの写真もライフ誌の「世界を変えた写真100枚」に選ばれています。
事件発生時、野僧は奈良の航空自衛隊幹部候補生学校に入校中で、中退した大学の中国人留学生の友人も参加している可能性があったため可能な限りテレビのニュースを視聴し、新聞や雑誌も熟読の上、スクラップしていたのですが、後年、特別で内緒の仕事として国内外の軍や治安機関と関係を持つようになると日本の天安門事件の報道が不完全な一面的請け売りであることが判明しました。
朝日新聞を中心とする大手マスコミは中国当局の代弁者に過ぎず、4月15日に脳梗塞で急死した胡燿邦元書記への追悼と意思の継承の決意表明をするため天安門広場に集まっていた学生たちを5月15日に訪中したミハイル・ゴルバチョフ大統領のペレストロイカの模倣を要求していると曲解していた鄧小平政権は殊更に危険視していることを察知すると日本国内での報道を控えるようになり、世界中のマスコミが大挙して乗り込んで学生たちの運動と治安当局の動きを注視しているにも関わらず現地駐在員による通常と変わらぬ取材だけでお茶を濁し、5月19日に戒厳令が発令されても国民の関心を掻き立てるのとは真逆の記事・番組造りに終始していたのです。
その結果、6月4日の武力弾圧についても実態を知る日本人は少なく、後で紹介されたニュース映像のような人民解放軍による銃撃や装甲車によって人を轢く惨劇が繰り広げられた舞台を学生たちが集結していた天安門広場だったと思いがちですが、実際は世界のマスコミが注視している天安門広場では治安部隊が催涙ガスやゴム弾を使った通常のデモ鎮圧の要領で数十万人の学生たちを排除していました。ところが治安部隊では対処できなかった場合に備えて天安門広場に向かっていた人民解放軍が長安大街の10車線の道路でデモに駆けつけようとする群衆に遭遇し、興奮した兵士が指揮官の許可を受けずに発砲したことで人民解放軍と群衆の相互が暴走を始め、あの惨劇が生起したのです。
あの白いシャツを着て両手に買い物袋を提げた青年が戦車の前に立ちはだかる写真は天安門広場への取材には出ずに宿泊先に留まっていた記者やカメラマンが部屋の窓から望遠レンズで撮影したもので、銃声を聞いた外国のマスコミが現場に向かった時には周辺は完全に閉鎖されており、音声による実況中継しかできなかったのです。
コールさんが歴史的傑作を撮影できたのは偶然の産物、怪我の功名のような面もありますが、事件後、中国当局は海外マスコミ関係者の宿舎を徹底的に捜索しており、危険を冒してフィルムを隠し通したプロ意識だけでも敬意を表するべきです。冥福を祈ります。
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  1. 2019/09/18(水) 13:33:39|
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