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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

第5回月刊「宗教」講座・おまけ

ここでさらに血生臭い話になりますが、歴史裏話と言うことでお付き合い下さい。
切腹は自死による死罪と言う日本以外には見られない処罰で、武士にとっては「自らを裁く」と言う美意識に叶う名誉で、足軽以下には許されませんでした。逆に斬首は武士であることを否定する大変な恥辱で、これに処することは命じた方の私怨や罪に対する憎悪などの報復的な意味がありました。安政の大獄で処刑された頼三樹三郎、橋本左内、松陰先生は斬首ですが、これも大老・井伊直弼の怒りが如何に深く激しかったかを表しています。
また、自死としての切腹は別にして、上意(主命)で武士が本当に腹を切っていたのは江戸時代でも元禄の赤穂浪士くらいまでで、それ以降は自刃する者が刀を構え、「イザ」などと声を掛けるのを受けて介錯人が首を落とし、衝立を回して服装を整えながら腹を切り、検屍役に見せたようです。
それが再び腹を切るようになったのは幕末になって武士に猛々しい気風が甦ってからで、自国民の殺害などで実行犯の切腹に立ち会った欧米の外交官たちは、淡々とした作法で行われ、白の死装束を赤い血で染める光景に「野蛮で残酷な場面のはずなのに非常に美しかった」と言う感想を述べています。
自死の切腹では腹の大動脈を切ることによる失血が死因ですが、それまで我慢できない場合、頸動脈を切って死期を早めます。
渡辺崋山先生は蛮社の獄により国元・田原での蟄居を命ぜられている中、生活苦を見かねた門弟が作品を江戸で売ったことを「藩主に迷惑がかかる」と問責され自刃しましたが、野僧はその死亡診断書(実物)を見たことがありますが、腹部の傷は深さ3寸、幅1尺3寸、頸部は深さ1寸、幅3寸とありました。
切腹の作法としては、左肋骨の下に刺し、臍の下を横に引いて切る一文字、その後にミゾオチから下へ切る十文字、また土佐の武市半平太が行った三段切りなどがありますが、切れ味のよい日本刀、それも長い大刀では柄の方が下がり支点になってしまうため真横に引けず、脇差でないと上手く切れないようです。
終戦時、阿南惟幾陸軍大臣や特攻隊の生みの親・大西滝治郎海軍中将が軍刀で腹を切っていますが、どちらも死ぬまで数時間を要しました。
ちなみに大西中将の墓も前回述べました石原裕次郎さんと同じく横浜・鶴見の總持寺にありますが、大きさは比べ物になりません。
野僧の同期、友人が3人も家庭用包丁で切腹をしていますが、刺しただけで横に引いても切れず、部屋をのたうち回った挙句に4階から飛び降りて死んでいます。
ちなみに市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面隊総監室で切腹された平岡公威(三島由紀夫)先生の首を落としたのは関の孫六の名刀でしたが1度では斬れず3度かかりました。続いた森田必勝は一度だったのは介錯人が要領を知ったのでしょう。
「葉隠」には「膝まで切り落とすつもりでないと頸部の骨が断ち斬れず、切り損なって苦しめることになる」と書いてありますが、その通りだったようです。
  1. 2013/03/04(月) 09:22:44|
  2. 月刊「宗教」講座
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