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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1680(かなり実話です)

第32軍は沖縄本島の最南端である摩文仁に司令部を置き、具志頭から喜屋武岬、糸満にかけて縮小する形で残存している部隊を配置していた。移動はアメリカ軍の航空機による捜索を避けながら夜間に山間部を行軍しているが、20キロ=20000メートル弱の道のりに出発した時点では45000人の将兵が歩いているのだから計算上は数珠つなぎになる。そのため発見された部隊に艦砲射撃や空襲、機銃掃射が執拗に加えられ、爆発音と銃声が響き続けていた。
司令部には経路上の要所に各部隊を残置して陸路を南下してくるアメリカ軍を阻止させる計画もあるが、山間部は脇道が多く夜間では地元の人間の案内がなければ地図だけでは目的地に辿りつくことは難しい。その意味では兼城(現在の糸満市)から来た水産鉄血勤皇隊の生徒たちは非常に重宝している。
「ここを右に行けば糸満です」「左なら」「玉城村(タマグシクソン)です」松泉は本隊の前方を歩く中尉と軍曹に同行して道案内をしていた。
「タマグシクって(言)えばオメェの出身地じゃあねェが」松泉の説明に中尉が東北訛りで声をかけた。この歩兵第32連隊は昨年8月になって移動してきたが元々は山形市を地元とする部隊なので連隊長の北郷大佐以下兵隊の大半は東北人だ。
「はい、あの山を越えれば玉城村です」「そうけ・・・」松泉が感情を交えずに答えると中尉は軍曹と顔を見合わせた。このまま次の配置先に到着しても待っているのは全滅だけだ。それならばここで逃がして親元に帰す。それが許されないのならせめて親に対面させてやりたい。そんな東北人特有の濃密な家族愛を軍規との天秤にかけているようだ。
松泉にも2人が考えていることは判っていた。しかし、すでに同級生が何人も殉職し、鉄血勤皇隊全体の死者は数百人に達している。今は個人的感情に溺れている状況ではない。
「早く行きましょう」松泉は表情を引き締めると2人に声をかけた。第32連隊は空襲で破壊されるまで沖縄県営鉄道糸満線の路線だった敷き砂利を踏みながら雨の中を進んでいった。
「ここは海軍が入る予定の壕だったんだべ」第32連隊に割り当てられたのは真栄里の小高い丘陵の頂にある洞窟だった。丘の登り口には海軍根拠地隊と一緒に小禄飛行場の守備に当たっていた歩兵第22連隊が配置されている。歩兵第22連隊は愛媛県松山市に所在する部隊で、日清戦争では先陣として雪中行軍で清国との国境を突破して「雪の進軍」と言う軍歌にもなった。日露戦争では旅順要塞攻城戦で多大な損害を受けながら奉天会戦でも奮戦して「伊予の肉弾連隊」との勇名を馳せた。その後もシべリア出兵、上海上陸作戦などで武功を上げてきた。ただし、沖縄ではこれまでの戦闘で消耗した兵員を補充するため現地招集した新兵が半数を占めている(海軍沖縄根拠地隊が26日の段階で真栄里に移動してしまったのは隣りの第22連隊が撤退を開始したことが原因ではないかとも言われている)。
そんな精鋭部隊が配置された真栄里は小禄から兼城、糸満、喜屋武岬、摩文仁に続く那覇からの最短経路沿いにあり、交通の要衝であるのと同時に南下してくるアメリカ軍を喰い止めるための緊要地でもある。当然、激戦が予想されるのだが、それでも鍾乳洞の中の居住空間を整備している兵隊たちは久しぶりに快活な声で言葉を交わしていた。
「飲み水に不自由しねェのは有り難たいべさ」「何よりも空気が冷たいのが助かるべ」やはり東北人には沖縄では夏本番となるこの時期に行軍してきたのはかなり堪えたようだ。
一方、アメリカ軍の上陸部隊の追撃は遅かった。第32軍の主力が移動した後も置き去りにされた負傷兵たちは陣地に籠って抵抗を続け、最後の一兵まで戦い抜いた。このため破壊した陣地に折り重なって残る遺骸を見た上陸部隊の首脳陣は脱出した第32軍の主力を司令官以下が敗走するのに同行した少数部隊と誤解し、「組織的抵抗は終わった」と安堵していたのだ。
「敵発見、戦車が迫ります」6月4日の早朝に小禄に上陸したアメリカ海兵隊は小禄から豊見城一帯(アメリカ軍は『OROKU』と呼んで両地区を分けていなかった)を制圧しながら同時に南下を開始した。6月5日には戦車を先頭にした先遣隊が真栄里に迫り、発見した第22連隊の歩哨の報告は有線電話で頂上の第32連隊にも届いた。
「これでは関ヶ原の時に南宮山で動けなかった長宗我部みたいだな」第32連隊長の北郷大佐は東北人そのものの風貌にはよく似合う丸眼鏡の奥の目を少し険しくして呟いた。天下分け目の関ヶ原の合戦に出陣した四国の雄・長宗我部盛親は徳川軍の背後に位置する何群山の山頂に陣取りながら登り口の毛利秀元軍に出口を塞がれていたため徳川軍に内通していた吉川広家の策謀「宰相殿の空弁当(=長宗我部の出陣要請に吉川が『食事中』と答えた)」によって出陣することなく敗走する羽目になった。つまり出番がないまま全滅することを危惧しているのだ。
「いつでも増援を出せるように準備せよ」ズーンッ、北郷大佐の指示と外からの砲声が重なった。
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  1. 2019/09/21(土) 13:26:36|
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