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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1683

「貴方、雪うさぎさんから手紙よ」今や日本有数の熱帯地域になっている岐阜が盛夏に入った頃、島田信長元准尉の元に是非とも避暑に行きたい土地から手紙が届いた。島田元准尉は妻の順子から洒落たパステル・カラーの封筒を受け取るとその達筆なペン書きの文字を眺めた。
「はい、ハサミ」順子は手紙に続いてリビングのチェストの上の手箱からハサミを取り出して手渡した。このハサミは自衛隊時代に使っていた官品(=官給品)を机の引き出しの中身と一緒に持ち返った厳密に言えば公物横領品だ。ただし、紙切りバサミ程度の安価な事務用品は補給上は消耗品扱いなので告発される心配はほとんどない。
「雪うさぎの本名は広橋照子だったよな」四つ折りの便箋を開きながら島田元准尉が独り言を呟くとテーブルの向こうに座った順子は両肘をついて手で顔を挟みながら「ふーん」と鼻で返事をした。仙台でのFM放送を終えて帰宅して以来、雪うさぎだけでなく宇都宮のとちおとめ、神戸の福原都、熊本の水前寺亜紀からも手紙が届くようになっているが、女性ばかりなので順子のヘソは少し曲がっている。勿論、ヘソの位置を確認した訳ではない。
「ふーん、3普連の彼氏をアパートに呼んだのかァ。好かったじゃあないか」順子の視線が気になって島田元准尉は解説しながら読むことにした。これまで届いた手紙で雪うさぎは仙台の帰りに慰問に寄った宮古市で、名寄から災害派遣で来ていた10歳以上年下の陸士長に一目惚れして、乙女のような甘く切ない恋心を綴ってきていた。島田元准尉は自衛隊OBとしても相談に乗ってきたが、その意味では順子に女性心理を訊ねることは有益である。
「彼氏って22歳でしょ。雪うさぎさんは大丈夫だったの」すると順子は女性として雪うさぎの貞操を心配した。肉食系男子以上の調教された野性動物である自衛官とすれば女性にアパートに招かれれば玄関はベッドに続いているのだが、順子としては雪うさぎが30歳過ぎで離婚歴があっても本人の意思に添わない性行為は許せないようだ。すると雪うさぎの手紙は安川をアパートに招くまでの苦労で1枚目が終わっていた。
「どちらかと言えば身も心も固く結ばれることが彼女の願いだったぞ。アパートに呼んで2人だけの時間を過ごしたいって言ったじゃあないか」これは反論ではなく前提の確認だ。前回、雪うさぎは安川をアパートに呼びたいのに門限が早いので実現できない不満を訴えてきた。そのため返事で陸上自衛隊の外出制度と階級区分を解説したのだが、今回は旭川と名寄の距離と移動時間の問題が絡んでいる。地図で見ると旭川と名寄は隣町に見えるので東海地方の感覚では名鉄の新岐阜駅から新名古屋駅程度の距離だと思っていたが列車で1時間弱とある(新岐阜駅から新名古屋駅は特急で30分弱)。やはり北海道は広いようだ。
「何々、アパートに来て手料理を食べさせたけど部屋に飾ってある屯田兵の絵を見たらそちらに興味を持ってしまって顔が自衛官になってしまった・・・だってよ」「自衛官になったらかえって危ないじゃない」順子も先任陸曹の妻として男女を問わない若い隊員たちの性的欲求に対する指導に悩む夫の姿を見てきたので、自衛官の体力が精力と表裏一体であることは熟知している。島田元准尉にとしては反論したくても否定できないところが辛いところだ。
「ところで屯田兵って何だっけ」ここで黙ってしまった夫の顔を見て順子が話題を変えてくれた。ところが島田元准尉も屯田兵については詳しくない。敗戦後に創設された陸上自衛隊は帝国陸軍とは別組織として一線を画しているため郷土史的に同じ駐屯地に所在した部隊に関する知識を学ぶ程度で、指揮官の精神教育でも帝国陸軍の戦史を取り上げることはあまりない。帝国陸軍を賞賛できない敗戦後の断罪史観を引き摺っていたのかも知れない。その点、伊藤=モリヤ佳織小隊長はハワイ出身と言う生い立ちを利用して「アメリカから見た帝国陸海軍」として大いに語っていた。その知識の出処が幹部候補生の同期のモリヤニンジン2佐だったのは間違いないが、あの無尽蔵な雑知識=トリビアの情報源は謎だ。
「屯田兵は北海道を開拓しながら守っていた兵隊たちだろう。雪うさぎの先祖は岩手から志願して旭川に入植した屯田兵だったそうだ」手紙の2枚目に書いてある説明で何とか面目を保つことができた。それにしてもまだ若い女性の部屋に屯田兵の絵が飾ってあることも驚きだが、それを見て気分が自衛隊に戻り切ってしまう22歳の陸士長にも感心してしまう。すると手紙にはその感心を関心に替えることが書いてあった。
「それからデートは北鎮記念館と旭川市の図書館通いになってしまったのかァ。それは素晴らしい隊員だな」「隊員としては立派でも恋人としてはどうなの」順子の質問は至極当然だ。島田元准尉は相談を受けていることを忘れて地方連絡部の広報官としての気分になっていた。しかし、雪うさぎはこの曹侯補士の陸士長が人事的に難しい立場にあることをまだ知らせていなかった。今は不釣り合いでもお似合いの恋人同士になることが先決なのだ。
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  1. 2019/09/24(火) 14:37:34|
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