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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

9月28日・アラブの雄・ナーセル大統領が急死した。

1970年の明日9月28日にエジプトとシリアのアラブ連合のガマール・アブドゥル・ナーセル大統領(2代目)が心臓発作で急死しました。
日本ではナーセル、若しくはナセルと呼ばれることが多いですが、これは父親の名前のアブドゥル=ナセールの後半で(日本で言えば太郎左衛門の左衛門のようなもの)、一族の呼称=姓はフセインとされています。しかし、現在はエジプトでもナーセルで通っていますから独自の姓名に関する慣習があるのかも知れません。
また亡くなった頃の日本では学生運動の活動家を中心とする若年層の間ではアメリカの政財界で権力を握るユダヤ人に対する敵意から反イスラエルの気分が蔓延しており、中東戦争を指揮していたナーセル大統領の支持者は意外に多かったようです
ナーセル大統領は1918年に地中海沿岸の古都・アレキサンドリアの東端地域で郵便局長の息子として生まれました。この地域では十字軍による侵攻を撃退した歴史を持つためエジプト人よりもアラブ人=イスラム教徒としての意識が強く、祖父はオスマン・トルコから独立してイギリスの保護国になっていたエジプトでは難しかったマッカへの巡礼を果たしています。母の実家もアレキサンドリアの富豪だったので庶民階級の上位に属しますが、アラブ社会のこのような階層の男性はアッラーに対する強固な忠誠心と率直な行動力を美学として誇示するのでナーセル大統領もそのように育てられたのでしょう。
その後、居住地の小学校に入学したものの官僚だった叔父に預けられてカイロの小学校に転校しますが勉強よりも読書にふけり、伝記の英雄を自分に重ねて命令する者には相手構わず反発するような子供になっていたようです。この叔父は若い頃、反イギリス組織に参加していたことで投獄されたことがあり、ナーセル少年に経験談を語り聞かせたことで伝記の英雄たちと同化して尊敬と憧憬の念を抱くようになりました。
そうして反イギリスの独立運動に色濃く染められながら成長し、28歳の時、それまで上流階級の子弟しか受け入れていなかった陸軍士官学校がナーセル大統領のような階層にも枠を広げたため早速、受験したのです。一度目は面接試験で軍内に人脈がないことを嘲笑されたので祖父や叔父を通じて国防次官の推薦を受けて2度目で合格しました。
しかし、軍人になっても反イギリスの独立運動への激情は強まるばかりで、没後に3代目大統領になるアンワル・アッ=サダート大統領と共謀して決起の機会をうかがっていました。そして1952年7月23日にクーデターを決行してイギリスによって地位を保証されていた国王を追放して共和制による独立を勝ち取ったのです。
ところが西側連合国はナチス・ドイツによる迫害の被害者?ユダヤ人に母国を与えることを名目に1948年5月14日にイスラエルを建国して十字軍の野望であったエルサレム奪還を達成していたためイスラム教徒としてこれと戦うことが使命になりました。そうなるとアメリカの軍事支援を受けるイスラエルに対抗するにはソ連や共産党中国に接近することになり、アラブの立場を東西対立とは別次元で複雑にする結果を招きました。
急死前には中東戦争での敗北が続き窮地に陥って、身心共に疲労困憊していたようです。52歳でした。
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  1. 2019/09/27(金) 11:55:48|
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