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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1687(少し事実です)

石巻への派遣は緊急性が低く日程が確定しているため森田曹侯補士も松山3佐の配慮で出発前に外泊できることになった。まさか本気で振られることを心配したとは思えないが、後ろ髪を引かれないように刈りげる効果があるのは間違いない。
「空休(からきゅう)ですかァ。確かに森田は代休を貯め込んでいますが・・・」松山3佐が中隊事務室に顔を出して奥の手を指示すると先任陸曹は何故か困惑した表情で言葉を濁した。
「空休」と言うのは代休を貯めている営内者に年次休暇を使わずに外出用の休暇証だけを発行する裏技だ。行動は休暇に準ずる扱いなので最終日の門限さえ守れば外泊も可能だ。当然、宿泊先は休暇行動計画で申告しなければならないが、森田曹侯補士と雪うさぎの交際は承認印をもらわなければならない関係者は知っているので問題はない。ただし、2人がまだ清純な交際を続けているとは誰も思っていないはずだ。
「実は1科から曹侯補士が退職前に服務事故を起こすと新聞の取材を受けることになるから行動は厳に慎ませるように指導がありまして」「早い話が内部告発を警戒しているんだな」先任陸曹の説明に松山3佐は苦々しげに吐き捨てた。滋賀方面総監が着任して間もなく1年だが、東北への災害派遣が撤収段階に入ったため方面隊内に関心が戻ってきたのかも知れない。それに反応して幕僚たちは叱責を受けないように思いついた指導を伝達してくるのだ。
「それでも休暇や外出の許可権限は中隊長にあるんだ。私が印を押せばそれまでだろう。大体、今回のような不当人事の犠牲になる隊員の不満を煽るような処置は人間を扱う立場の者としては下の下だよ。巨大な組織だから人事に不満を抱く者が生じるのは仕方ないが、それを少しでも和らげるように工夫するのが人間学と言うものだ」松山3佐の話はどうしても難しくなる。先任陸曹は後で意味を吟味するため話の内容をメモしていた。
「本当に私のアパートに泊まれるの」森田曹侯補士は営内班長から「空休」の話を聞いて早速、雪うさぎ=照子に電話をかけた。すると照子は喜びよりも戸惑ったような返事をした。
実は照子は森田曹侯補士が折角部屋に来てくれても目にした途端に身構えてしまうあの絵を仕舞おうかと思案していた。そのため島田元准尉に手紙で森田曹侯補士が屯田兵に強い関心を持った理由を質問したのだが、まだ返事が届いていない。一方、森田曹侯補士は今回の「空休」が中隊長室での雑談の中で「代休を貯めても思ったような成果を上げていない」とこぼしたことで実現したので結果的に直訴になってしまった。そのため営内班長は陸士への特例的な処置が自分を通さずに上司から下りてきたことに困惑と不信感を露わにしていた。そんな訳で希望が実現する吉報のはずが2人とも浮いた気分にはなっていない。
「お前の定休日の前後も休めるから2泊3日できるんだ」それでも予定を説明し始めると少しずつ胸が高鳴ってきた。つまり2晩一緒に眠りにつき、2朝を迎えることができるのだ。しかし、森田曹侯補士は高校時代から性的目的以外で女性と布団に入ったことがない。その意味では愛情を胸に女性を抱くのは初体験だった。
「それなら時間がタップリあるから何所かに行きましょうよ。稚内か富良野なんてどう」「本当はお前の牧場を見てみたいんだけど親に挨拶するのはまだ早いだろう」気分の高揚が追いかけて来る会話は今一つ噛み合わない。それでも互いの希望は確認できた。照子は日帰りの小旅行、森田曹侯補士は次の職場として考えている牧場の下見だった。
「稚内と富良野は先輩に連れて行ってもらったことがあるんだ。どっちも車で行かないと移動が大変だろう」「確かにそうね。タクシーだとお金がかかっちゃうわ」先ず照子の希望が却下された。そうなると森田曹侯補士の職場の下見だが、2人の交際期間は出会いからでも3カ月に満たない。それでも何かに強く引っ張られるように互いを求める気持ちが強まりながら同時に深まっている。今では隣りに存在することが自然になっていた。
「でも本当にそれで良いの。普通の小さな牧場だよ」照子は両親に会わせることを躊躇うのではなく特に見せる物がないことを心配した。この助け船に森田曹侯補士も安堵し、逆に腹の中では決定し、父や松山3佐には告白していながら当事者には伝えていなかった希望を切り出した。
「俺が自衛隊を辞めたらお前の牧場で雇ってもらおうと思ってるんだ。それで即応予備自衛官になって現代の屯田兵になるんだ」「それって・・・」照子はこの言葉の意味をどう受け止めるかに迷った。照子は北海道内の酪農学校を卒業して実習からそのまま就職した前夫と両親の強い希望で結婚した。その話は森田曹侯補士にもしている。その上で実家の牧場で働きたいと申し出たのは求婚と受け取ることもできる。しかし、軽率な思い込みは避けることにした。照子も前回の痛手は人生の教訓にしているのだ。
「それじゃあ。見学と言うことで案内するわ」照子の返事を聞いて森田曹侯補士は溜息をついた。
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  1. 2019/09/28(土) 13:37:59|
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