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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月1日・五所川原市と上山市の市制記念日

昭和29(1954)年の10月1日に青森県五所川原(ごしょがわら)市と山形県上山(かみのやま)市が成立しました。とは言え平成の大合併の結果、野僧が全国各地を転属して回った頃とは市の範囲や地区の名称が変わっているのでいまだに困っています。
青森県五所川原市は野僧が津軽に住んでいた頃は大自然と広大な田園が広がる津軽半島の中央部の岩木川沿いに在った市街地で、JRの五能線とストーブ列車で有名な津軽線の駅がありましたが、現在は金木町と飛び地の市浦町が合併されたので両町の歴史や特産品も五所川原市に吸収されています。野僧が住んでいた頃から金木町と仲が悪かった中里町(=両町の住人の声)は小泊町との合併によって中泊町となる選択をしたようです。
金木町と言えば現在も若い世代に愛読者を増殖させ続けている太宰治さんの出身地で、生家の斜陽館には全国各地から見学者が殺到していました。さらに歌手の吉幾三さんの出身地でもありますが、こちらは東京に転居してしまいました。
市浦町は北海道から日本海を越えて朝鮮半島、シベリアまでを行動範囲にして貿易によって繁栄していた安東水軍の拠点・十三湊(とさみなと)が沈んでいる十三湖の歴史ロマンと他の地域の物とは味と身の量が格段に違う絶品の蜆が特産品です。
一方、五所川原市の有名人と言えば全国各地の選挙に出馬していた羽柴誠三秀吉さんがいますが、地元では経営が苦しくなると火事になることで有名な小田川温泉の経営者の実業家と言うことになっています。ただし、2015年4月11日に亡くなりました。
なお、五所川原市には青森市のねぶたとは違い立ち姿の立佞武多(ねぶた)もありますが、高さが20メートルを超えるため市内の電線を地中化してようやく練りが復活しました。
山形県上山市は曹侯学生基礎課程の区隊長の出身地(入校中は知らなかった)で、野僧も山形県人の血統と言うこともあって青森県の車力村の部隊で勤務している頃に山形県最上郡戸沢村の祖父の実家へ帰省しながら観光のついでに通過していました。
上山市の旧・上山藩は江戸時代初期の紫衣事件で沢庵宗彭禅師が流罪になったことで有名ですが、これは関心を持っている人がかなり限定されてしまいます。
また江戸時代の初期には来年の大河ドラマの主人公である明智光秀さんと同族(藩祖は甥と言う説もある)の美濃の土岐氏が藩主になり、用水路の建設を伴う新田や鉱山の開発と交通の大動脈だった最上川につながる支流の利用に合わせて城下町や街道を整備したことで上山温泉への湯治客だけでなく産品の流通を活発にして上山藩が繁栄する基礎を作りました。土岐氏と言うと斎藤道三さんに追放された馬鹿殿のイメージが強いのですが光秀さんも領国経営には辣腕を揮った名君ですから中途半端な知識は歴史を見誤ります。
さらに上山市は精神科医でアララギ派の歌人である斎藤茂吉さんの出身地です。斎藤さんには故郷を唄った作品が多く、小中学・高校生では短歌が趣味だった野僧は訪れたことがなかった山形への望郷の想いを募らせていました。
そして上山市と言えば無着成恭和尚の「山びこ学級」の舞台ですが、この作品(と言っても中学校のクラス文集ですが)は山形の人にはあまり評判が好くないようです。
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  1. 2019/09/30(月) 13:24:47|
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