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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月3日・大阪商人を描いた作家・花登筺(こばこ)の命日

昭和58(1983)年の明日10月3日は高度経済成長期に大阪や関西圏を舞台にした商人の成長と奮闘の物語を描いた多くのドラマで絶大な人気を獲得していた作家の花登筺さんの命日です。
花登さんと言えばテレビを独占していた大阪商人のドラマが有名ですが、実は時代劇を含むジャンルを問わぬ極めて多くの小説や脚本を手掛けていて、土曜日の午後の定番だった大村崑さんや芦屋雁之助さんが出演する上方喜劇も手掛けていたそうなので野僧も物心がついてからずっとお世話になっていたようです。
花登さんは昭和3(1928)年に大阪商人を含む関西の商人の源流とも言うべき近江の商家で生まれますが、生後間もなく姉の嫁ぎ先の養子になったことで花登姓を名乗ることになりました。ただし筺は筆名で本名は善之助だそうです。
旧制中学校を卒業した昭和22(1947)年頃から地元の青年団の素人劇団に参加して演劇活動を始め、翌年には大津市で劇団を結成して自作の劇を上演しています。昭和26(1951)年に同志社大学商学部を卒業して大阪の綿糸問屋に就職しますが結核を患って退職し、療養後はラジオ局にドラマの脚本を売り込んで採用されるようになったことで職業作家に加わりました。
昭和29(1954)年にはラジオ番組の脚本作家やミュージック・ホールの構成や演出家として東宝と契約しますが、大阪のテレビ番組「やりくりアパート」で人気を博していた中山千夏さんを東京でも使いたいとの申し入れを拒否したことで独立して大村崑さん、芦屋雁之助さん、芦屋小雁さんと共に「劇団・笑いの王国」を結成しました。
その後は大阪ならではの企業間の駆け引きや人間同士の確執などにより、複雑な変遷を辿りますが、昭和39(1964)年に劇団を解散すると大阪のテレビ局の番組を量産するようになり、野僧が知っている花登筺さんになっていきました。
花登ドラマと言えば何と言っても「どてらい男(やつ)」と「あかんたれ」ですが、その他にも両親が見ていた「細うで繁盛記」「大根の花」「赤福のれん」なども記憶に残っています。意外なところではスポーツ根性アニメの「アパッチ野球軍」の原作も花登さんです。このアニメは題名だけ見ると魔球を繰り出す超人的な選手が活躍する「巨人の星」や「侍ジャイアンツ」のような梶原一騎さん式のスポーツ空想物語かと思ってしまいますが、実際は前作「エースの条件(水島新司さんの野球漫画デビュー作)」の続編でプロ野球を断念した主人公が田舎で野球を教える花登さんらしい苦労物語です。
大阪と東京の営業マンの違いは東京式では結果が全てで売り上げが獲得できない企業訪問は時間の空費として叱責・懲罰の対象になりますが、大阪式では営業マンは顔を売ることが第1で無駄足を踏むことも「兄ちゃん、よく来るのに何も買わんで悪いなァ」と声をかけてもらうための下準備なのです。そんな濃密な人間関係による営業が成り立たなったのは「まんが日本昔ばなし」が終わって都市部の家庭や子供社会が無味乾燥化したのと同様に花登筺ドラマが消えたことも影響しているのでしょうか。
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  1. 2019/10/01(火) 12:40:29|
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