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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1695

翌週、私は佳織の転属と私の移動の予定についての情報収集を開始した。転属は本来、内示が出て初めて公式な予定になるため先走って動くと人事情報の漏洩として問題になりかねないが、夫婦であれば人情として多少は許容範囲が広くなるはずだ。
「おや、モリヤ弁護士が顔を出すとは珍しい」統合幕僚監部首席法務官室でのイージス艦事故の2審の現状分析と今後の方針に関する会合を終えて幹部の人事を所管する陸上幕僚監部人事教育部補任課人事第1班に顔を出すと班長の2佐が声をかけてきた。この2佐も同じ官舎から通っているので顔だけは見知っている。確かに航空自衛隊時代から人事には無関心で、むしろ敬遠している私が陸上自衛隊の人事の元締めであるこの部屋に立ち入るのは着任時の挨拶回り以来かも知れない。それでも佳織の転属のことを表情にも見せないのは流石に本職だ。
「法律相談はないかって御用訊きに伺いました。離婚に不倫、財産分与に遺書の作成と何でも無料でどうぞ」先ずは軽いジョークで警戒心を解くのは弁護士業界に限らず一般社会での常識だ。すると分厚いファイルを開いてパソコンの画面と見比べているベテランの陸曹が眼鏡のレンズ越しにこちらを睨んだ。そこで人事情報が積み上げてある机の上を見ないように視線を前に向けながら班長の前へ歩いて行った。
「1つ、ご教授いただきたんですが」「私はモリヤ弁護士に教えるほどの教養は持ち合わせていませんよ」ここでも班長は接触を拒んだ。佳織に調整が入ったと言うことは8月の移動予定が確定し、該当者への確認作業に入っているのだろう。電話の内容を聞かれるだけでも人事情報の漏洩になりかねない。部内の人間と言え長居されては迷惑なのは当然だ。
「それでは手短に。私が転属を希望しようとすれば普通科への復帰と師団、旅団の法務官ではどちらが実現性はありますか」「モリヤ2佐が転属ですか・・・やはり14旅団司令部ですかね」ここで班長はあえて善通寺への希望であることを前提に逆に質問してきた。この逆質問では第15普通科連隊の副連隊長は論外のようだ。
「それでもモリヤ弁護士は統幕のイージス艦事故の裁判の弁護を担当しているんじゃあないですか。職務の途中で転属を希望するのは私的事情を優先したと思われる可能性がありますよ」これは助言のように聞こえるが日本の裁判が結審するまで数年を要し、どちらかが控訴すれば3審まで続くことを考えれば途中で転属させるのは人事の都合ではないか。
「今の裁判は検察側の事情で控訴しただけだけで中身がないから私が抜けてもそれほど影響はないはずだよ。むしろ14旅団が編成された時に四国の自治体が熾烈な部隊の誘致合戦を繰り広げたと言うからそちらに興味を惹かれるんだな。勿論、3尉の初任地として配属されながら私的事情で転属することになった第15普通科連隊に懺悔と報恩したいと言う気持ちもある。だから最初の質問になったんだよ」この雑談的な会話の間も電話が鳴り続け、「只今、用談中です」と断っている声が聞こえてくるからこれ以上長引かせる訳にはいかない。そのため私から結論を出すように話題を誘導した。
「モリヤ2佐の弁護士資格と言う特殊技能は他に替わりがいませんから人事上最優先するのは当然です。定年まで普通科への復帰はないと考えて下さい。この特殊技能を優先すると言う人事の原則は国家資格だけではなく経歴も同様です。ですから海外での勤務経験が豊富な隊員には、将来その語学力と社交術や調整能力を活かせる職務に就いてもらうための配置を考えているんです」「判りました。お忙しいところに申し訳ありませんでした」先任順で言えば私の方が上位だが、ここは姿勢を正して10度の敬礼と回れ右をして退室した。
「佳織の将来かァ・・・」廊下を歩きながら考え事をしてしまった。陸上幕僚監部で2佐は敬礼されるよりもする側なので注意していないと欠礼を犯す恐れがある。それでも通信幹部の人脈から外れた佳織に用意される配置には自分の将来以上の興味があるので、すれ違う人にぶつからないようにだけ注意しながら歩を進めていった。
「お帰りなさい。お留守中にお電話が3件ありました。相手のお名前はメモして机に置いてあります」事務室に戻ると女性事務官が声をかけてきた。彼女とのつき合いも2カ月を切り、7月からは後任者への引き継ぎが始まっている。後任者はバブル期に高卒の募集に応募した短大卒で40歳代前半の女性事務官だが、長い髪と派手目の服装の割に眼鏡をかけて愛想がない。鳥ガラのような体形でも清楚で生真面目な雰囲気で完熟女の魅力が溢れている女性事務官とは真逆だ。せめてきめ細かい気配りの半分でも申し送って欲しいものだ。
「知らない名前ばかりだけど、どれも返信を求むなんだね。深刻な法律相談かな」私は机の上に並んでいるメモを眺めながらコーヒーをいれている女性事務官の背中に声をかけた。後任者はすでに経験しているのか机の前から動かない。現在の配置が閑職なのは当然だ。
古藤田京子イメージ画像
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  1. 2019/10/06(日) 13:09:16|
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