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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月8日・乙未(いつび)事変=閔妃(びんひ)殺害事件

日清戦争が終結した明治28(1895)年の明日10月8日に出身氏族から閔妃と呼ばれる朝鮮国王・高宗の妻・明成皇后が宮廷内に乱入した朝鮮親衛隊・朝鮮訓練隊(=日本軍の軍事訓練を受けていた部隊)、朝鮮警務使(警察官)と日本軍守備隊・日本公使館警備官、さらに大陸浪人を名乗る日本人に斬殺された乙未事変が発生しました。
朝鮮の近・現代史は日本の敗戦後に独立した韓国政府によって滅茶苦茶に歪曲されているため事実は不明なのですが、この事変で殺害された閔妃は清の西大后と同様に政治に関与して混乱を招き続けた殺されるべきして殺された亡国の悪女だったようです。その点を理解せずに日本の皇后や将軍の正室のイメージに重ねると日本軍・官憲による残酷な殺害事件とする日韓の歴史家たちの思う壷にはまってしまいます。
19世紀に入ると朝鮮でも日本と同様に欧米列強の来航を受けるようになって対応に苦慮しましたが、日本はオランダに門戸を開いていたため市井の蘭学者たちが極めて正確にヨーロッパ事情を洞察しており、徳川幕府はその人材と情報を採用することで国際常識に基づいた外交交渉が可能でしたが、朝鮮王朝は清とのみ正式な国交を持ち、日本に対しては秀吉による侵攻の再発を防ぐための儀礼として通信使を送っていただけでした。このため欧米の恫喝に近い要求を受けても頑なに鎖国を維持していたのですが、肝心の宗主国・清がアヘン戦争に敗北して欧米列強の餌食になり始め、逆に東夷として見下していた日本が近代化に踏み出して急速に成果を上げる様子を目の当たりにすることになったのです。
この事態に朝鮮王朝内では「宗主国・清への忠誠を堅持するべき」とする保守派と「日本に倣い欧米諸国に門戸を開いて近代化に着手するべき」とする開化派が激しく対立したのですが、意外なことに開化派が担いだのは王の父である大院君(日本で言えば上皇)で、保守派の方が占い師に操られていた閔妃でした。
閔妃は王朝内で絶大な権勢を揮っていた閔一族が兄の相次ぐ早逝で4男が即位した高宗にあてがった皇后だったため王以上の強権を握っていました。ところが1894年に刺客を放って開化派の中心人物を殺害したことで閔一族が私物化している政治に不満を鬱積させていた農民・庶民の大規模な一揆が発生したため、その鎮圧のために清に出兵を要請したため開化派は日本にも出兵を要請したのです。これが日清戦争の原因です。
結局、日本が勝利したことで王朝内でも開化派が実権を握りますが、三国干渉に日本が屈服すると閔妃はロシアに乗り換え、日本が軍事訓練を実施して近代的な軍隊に育成し始めていた朝鮮訓練隊を解散して新たなロシアの指導による軍隊を創設しようとしたのです。閔妃の暴走がここまでくると大院君も放置することはできず、保守派が親露化したことを憂慮していた日本の在朝鮮公使と共謀して事件を起こしたとされています。
戦前は閔妃と面識があり、王宮の内部を熟知している朝鮮親衛隊と朝鮮訓練隊、朝鮮警務使が実行犯で日本軍守備隊と日本公使館警備官は周囲を警備していたと言われていましたが、戦後は日本人の反日作家や亡国歴史研究者を中心に「斬殺」と言う殺害方法を根拠にして日本の軍人と官憲の凶行とする見解が強まっています。
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  1. 2019/10/07(月) 11:57:52|
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